読書感想文「最悪の予感: パンデミックとの戦い」マイケル・ルイス (著)

 全ての保健所職員よ,必読だ。そして,膝が抜け落ちるだろう。ワハハ!私は泣き笑いの半べそになりながら,これを読んだ。「クソだ。全くクソだ」。ページを捲るたびにいちいち罵詈雑言が口をつく。「何てことだ!アメリカの感染爆発の正体は,クソみたいな連邦政府,クソの集まりの州政府,意気地なしのCDC,蔓延る無気力と官僚主義じゃないか」と。情けなく,そして胸糞悪い。システムが劣化している。それは公衆衛生だけじゃない。社会や組織のシステムが,だ。トランプがクソか。そうだろう。だが,染み込んだ事勿れ主義が最もクソだ。
 それでも立ち上がるのは,科学力と強靭な意志を持った個人の存在だ。アメリカは断然,微生物学研究の世界トップだ。そこに篤志家が数えきれない資金を投入し,才能ある人たちが互いに繋がり出すことで解決に向かっていく。決して単純ではないのだが。
 貴重な言葉を本書から拾っておきたい。「知識の源としては,民間企業はあまりに効率が悪い」。「有望な研究分野が開けても,会社が頓挫するとともに,成果が水の泡と消えてしまう」。「金銭的な野心が,科学と進歩を妨げている」。
 間違いなく,映画化決定だろう。そして,僕らは震えながらスクリーンを見ることになる。地獄の釜は開いたばかりだ。


読書感想文「歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望」塩見 三省 (著)

 病を得るという言い方がある。病後の自分を省みて,病気の結果,変わってしまった自分を第三者的な目線で見おろすことで,やっと言える表現だ。
 片麻痺,半身不随の闘病期である。リハビリの毎日とは,こうした心情が湧いてくるものなのか。同じリハビリに励む人たちとの交流はこれほどまでに互いを励まし合うものなのか。症状や障害の重さは,これほどまでに自分自身を失わせるものなのか。
 俳優・塩見三省。彼を支えるのは,過去の多くの方々との交流の記憶。そして,病後に彼を奮い立たせてくれた多くの方々との間で生じる「生きている,生きていたい」と思わせる実感である。
 病気によって失った身体機能とともに,それまでの自分ではない自分の人生をスタートさせた。葛藤があり,鬱屈がある。だが,感謝があり,喜びもある。
 我々は必ず老いる。当然,健康ではあり続けるわけはない。結果,様々な病を得て,周りの支えで生きる。私たちは,病を得る前と得た後を悔恨たっぷりに表現してくれた一人の役者に感謝を伝える番だろう。


読書感想文「ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」」平井 一夫 (著)

 今どきのマネジメントの教科書である。また,かつて栄華に浸った日本のエレキ産業の衰退当初における「ニッポンの会社の視点」から見れば「異端のリーダーシップ」である。
 大きな会社が,大きな会社として採用した人たち,すなわち「大きな会社だから就職した」人によって運営されるようになってしまい,なぞの大きな会社として論理が幅を利かせるようになると「大きい」以前に「会社」として判断がそもそもどうなのよ,となる。平井は当たり前のコミュニケーションによる当たり前のチームビルディングによって,当たり前のマネジメントをやろうとし,やってきた。だが,大きな会社としてソニーにとっては,ガイジンを社長にし,帰国子女である平井が次の社長に据えることでしか,カリスマ経営者時代から抜けることができなかった。いや,抜け出ることができたソニーは,それでも幸せだ。この間,我が国はどれほどのエレキ産業を力を失い,技術が遅れ,会社や職場が無くなっていったか。
 日本中の蛙は茹で上がった。水温が上がったことに気づいた蛙のチャレンジだけが次の時代をつくるのだ。


読書感想文「日本経済学新論」中野 剛志 (著)

 副題をつけるなら「国家と経済」である。
 なぜ,国家なのか。現実の社会生活がどう営まれているかの理解ができていれば,自ずから導かれる。下村治の言葉である「現実の世界経済は,政府,中央銀行,各国通貨,為替レートといった,国境を前提とした『国民経済』から構成されている。その国民経済の中で,人間は生活を営んでいる」からだ。
 現実社会の課題に向き合うとき,先例はなくゼロからの実践こそ求められて「やるしかない」中で,考えに過ちがあれば修正し,柔軟に考えを変えることのできるクリエイティブと,健全なナショナリズムが大事であると教えてくれるのが,この本で取り上げられる渋沢,高橋,岸,下村の四人だ。彼らは,国家の経済を考えた際に,積極財政と保護主義を訴えた。
 結局,この30年の「改革派」とやらが旗を振ってきたのは,財政健全化と規制緩和グローバル化で,結果,国民経済をすり減らし,ただただ,国力を弱体化させた。
 アンポの岸とばかりに,岸を軍国主義者・国粋主義者,国家統制経済主義者と決めつけることのバカバカしさがよくわかる。学ぶことによって得る謙虚さをあらためて思う。


読書感想文「5人の落語家が語る ザ・前座修業」稲田 和浩 (著),守田 梢路 (著)

 前座修行とは何か。一人前の人間としての型(カタ)を手に入れるための時間と経験である。
 この人間としての型(カタ)が無くちゃあ,ひと前に出らんない。それ相応の挨拶ができること,世の中には理不尽さがあるということを知ること,見てくれも大事だということ,義理や恩は大事にしなくちゃいけないことなど,これらがわかれば人間として往来を歩くことができる。だから,前座時代の長さは人によって違う。
 もちろん,要領のいい奴はトントンと先に進むことができる。一人前の人間としての型(カタ)だから,まぁ,それでもイイ。だけど,そこから先,己をどう磨くか,磨いた先に自分の看板でどう生きるか。その射程を前座時代に自分に問いかけた人は強い。
 商家の丁稚の修行も同様だろうし,寺の小僧さんもそうだろう。やがてひと前に立つのだ。修行時代には気づかないかも知れないが,客や同業者の方が無理難題,出鱈目,誤魔化し,適当,インチキが横行している。そこに真っ当さを持って線を引けるようになること,それが修行時代だ。師匠や旦那,和尚の理不尽さより,世間の方がよほど納得がいかない。
 ひと前に出ない職人や,人に使われるだけの生き方もあるだろう。だが,学校の勉強が全てになってしまうと,(学校の)勉強ばっかりしてるとバカになるぞ,ということだ。世間には,情けない,辛い,恥ずかしい,みっともない,悔しいことが溢れている。
 柳家小三治三遊亭圓丈林家正蔵春風亭昇太立川志らくを取り上げた2010年の発行である。今なら誰だろう。立川志の輔三遊亭兼好柳家小八鈴々舎馬るこ桂宮治で出版してみませんか。


読書感想文「古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々」虎尾 達哉 (著)

 緩い律令国家である。権威っぽい体裁を整えようとするのだが,朝廷を成り立たせようとしようとする側と,メンバーとして名を連ねている官人たちにシビアさが無い。「嫌だし面倒だし,あー,もう行くけどさ,顔は出すけど遅れるよ」だし,「いや,まー,とりあえずさ,カッコつかないからさ,来るだけきてよ,難しかったら遅れてもいいし,ちょっと覗くだけでいいし。いや,もー,何だったら誰かの代返でもいいから,来てたことにしてよ」。
 何だこれ。お店のオープニングイベントかよ。話題の注目のショップ!と言われたいのと同様に,権威を擬態してまで成り立ってる風に見せたい。大陸の統一国家は,ちゃんとしてる。わーすげー,と思った。こっちもちゃんとしてるもんね,と見せることが大事になった。ハナっからイミテーションなのだ。
 任官・罷免が取り替え可能ではなく固定メンバーで回さざるを得ず,メンバーのモチベーションを上げるような動機付けや承認も難しい。そうなると,とりあえず皆んなが参加してることが目的になりズルズルとダラダラと,いつも同じメンツの寄合になる。
 所詮,こんなもんであると言えるかも知れないし,緩さを包含した社会の良さを見出してもいいかも知れない。だが,一つの警句として受け止めておくことが正しいだろう。


読書感想文「分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議」河合 香織 (著)

 混乱である。
 日本社会というのは,個人としては優秀なのだろう。そして,親分ー子分やチームが形成されまとまると強い。だが,それぞれが組織としての体裁を保ち,もっともらしい方向に動き出そうとすると途端にセクショナリズムが非全体最適な行動を取り始める。それぞれのムラがムラのメンツや利害を主張し始める。途端に解決すべき課題や目標が何だったけ?となる。
 コロナ対策専門家会議。全員が新型コロナの専門家なのか?それは違う。新型コロナはそれまで無かったのだから初めてなのだ。WHOで活躍した人は何人もいた。SARSと戦った人もいた。だが,個々に新型コロナへの見方はずいぶんと違う。そして,新型コロナは目論見を易々と裏切る。
 今後もこうした強敵や国難はカタチを変えて僕らを襲うのだろう。そして小物や小人物が騒ぐだろう。いい加減でデタメラなことを騙るだろう。では,どうするか。
 尾身の言葉をヒントに引いておこう。「リーダーは感情のプロである必要がある。リーダーとは何かといった本には,決断力やコミュニケーション,大きな方向性を示すことなどが書いてありますが,でももっとも重要で難しいのは,感情の,怒りのコントロールです。怒ったとしても,根拠のある怒りが必要だ。後で尾を引かないような怒り方をすることが重要です」。