読書感想文「それを,真の名で呼ぶならば: 危機の時代と言葉の力」レベッカ ソルニット (著), 渡辺 由佳里 (翻訳)

 レベッカは勇敢である。
 そして,彼女は冷静かつ正確に問題をとらえ,その一点に怒りを持ち続けている。その矛先は,こんな状況になってしまったアメリカについてである。こんな状況とは何か。嘘,出鱈目,インチキ,嘲笑,誤魔化しがまかり通る正義なき社会についてだ。
 みんな,やるせなさを感じてはいる。アメリカ人だって空気を読むし,同調圧力は高いのだ。アメリカン・マッチョだって流される。雰囲気で好き勝手に都合良くモノを言うのだ。若い頃のイメージのまま,虫のいいことを語りたいのだ。だって,その方が気分がイイのだ。本当のことは触れたくはないのだ。重い現実を直視したくないのだ。だからこそ,耳の痛いことを本気で言うレベッカの価値があるのだ。
 いま,日本にここまで書ける者はいるだろうか,と問いかけたい。議論すべき左翼としてレベッカという存在を歓迎したい。煽動なき冷静な言葉で世の中を語るとは,こういうことだ。


読書感想文「行政学講義」金井 利之 (著)

 行政とは,見えにくい存在だと金井先生は言う。網羅する対象の範囲の広さとそれに応じた組織・機構,国と地方,政治と官僚や現場職員の関係など,複雑多岐に渡るし,興味関心なく関わりを持たないように生きようとすれば,最小限の接触にすることだって可能だ。
 そうした行政の存在を金井先生の手によってレントゲン撮影して見えるようにしたのがこの本だ。つい天下国家の国家統治の観点や国際社会の現状から行政機構を語ってしまいがちなのだが,この本は違う。地面に足がついたまま「何か難しそうなことを言ったって,アレの仕組みはこうなってるのよ」と教えてくれているのだ。有難いじゃないか。言わば,種明かしだ。
 とは言うものの行政という大きなものを,どう相手にしていくのかは難しい。難しいことを前提に,付き合うことを避けず,必要かつ適切な要求をしていくことを続け,過大な期待をせず,安易に諦観もしない態度だよ,という金井先生の言葉は金言だと思う。


読書感想文「人権と国家: 理念の力と国際政治の現実」筒井 清輝 (著)

 国際人権規範について話しだ。いや,テーマとされるのは,なぜ,国家の支配者は,やがて自分の首が絞まるような国際人権に賛同し,批准した条約の遵守義務と向き合わざるを得なくなっちゃうような「空虚な約束のパラドックス」に陥ってしまうのか,だ。
 それは,冷戦期を通じて,相手を批判する際,調子に乗って,つい立派なこと言ってしまい,いいカッコしいな態度を取ってしまうからだ。批判のためのセリフだから,やがて,コッチに降りかかってくることなんて考えない。誰もが賛同を得るような,相手を黙らせるようなカッコいいこと言いたい。しかし,そうした国際社会での物言いが国内問題に向かう時,刃になって襲ってくる。
 日本社会は,これから国際人権規範とより一層,向き合うこととなる。漫然と続いてきた因習や慣習,ローカルルールが,なぜ必要なのかを国際社会で理解が得られるように説明できなくてはならない。世間という同調圧力の高いムラ社会に閉じているのであれば,異議申し立ては無視し排除すればよかった。だが,風穴が空いてしまった以上,これからは「人権力」で世界をリードすることを目標とせざるを得ない。世界の隅っこの極東で人権を叫ぶことになるのではないだろうか。


読書感想文「裸の大地 第一部 狩りと漂泊 (裸の大地 第 1部)」角幡 唯介 (著)

 ヤバイ人の話だ。
 旅そのものの定義に内在する「戻る」という行為に,計画性や時間制約を嗅ぎ取り,さらに不自由さも一々感じちゃって,自身の感覚と自活による移動こそ追求対象だとして,ついにやっちゃう人が主人公なのだ。そんな理屈っぽいこと考えたとして,仮に出かけても「やっぱ帰ろう」と思うよ,フツー。だけど,この人はわかんないのだ。たとえば,自由と自由落下の違いが。いやいやいや,ダメだろ,それ。
 狩猟を糧とした生活の実践とは,野生の掟の側に重心を置くということだ。太陽の動きは規則的だとしても,獲物の動きは天然なので,ヒトの思考の範囲外だ。でも,そうした外部規範の中に身を置くことが自由なのだ,と。ホントか,それ。ぜんっぜん,わっかんないんだが。
 いま,アウトドアがブームの中,キャンプの帰り支度をする人たちにとって「なんで,帰んなきゃなんねーんだろ」と口を突いたところで,その続きを考えもしない99.999%の人たちの代わりに答えを出そうするヤバイ人の存在が支持されているということなのかもしれないし,家や社会生活ではなく野生に帰ろうとするフツフツとした感性が世の中に漂っているのかもしれない。ヤバイのはこっち側なのかもしれない。


読書感想文「メタ認知-あなたの頭はもっとよくなる」三宮 真智子 (著)

 参ったなぁ。「頭がいい」とは,いま,ここまで客観的に定義づけられているのか。
 「頭がいい」とは,頭の使い方を意識的,無意識的にせよ,わかってやっているということだ。それには,動機付けや感情といった非認知的な要素も深く関わっているので,ますます,頭の中をモニタリングし自分自身を客観視すること,そして,状況の理解と自分自身への問いかけを課すといった頭の使い方ができること,このことが頭の良さの本質だというのだ。
 子どもを褒めるときの利発さや学業成績,仕事の効率の良さといった旧来から言われるものやコミュニケーション能力や地頭などと呼ばれるものも含めて,ほぼほぼ正体不明なのだが,実は,「学ぶ力」「適応的に生きるための学んだことを生かす力」があることが「頭がいい」ということなのだ。
 だからこそ,自分を卑下せず自分自身に期待し,周りについての理解をポジティブにしたりしながら,丸暗記ではなく,「理解・納得こそ最高の記憶術」という著者のメッセージを強く焼き付けたい。


読書感想文「古本食堂」原田 ひ香 (著)

 関取にぶん投げられる気分と言えば近いだろうか。回しを取られて空中に浮かぶ上がって振り回されるように物語の渦へ持っていかれる感じ。それが原田ひ香お馴染みの読後感だ。
 現在の世の中のいるであろう市井の人々と,いまこの時点のトピックスを盛り込み,物語をカタチにしていく力量は彼女ならではだ。
 今回,家族や職場,友人の人間関係を,食という織糸で結ぶだけでなく,さまざまな古書,名著も物語を編み上げる素材に使って来た。食の求道者だと思っていたら,本のハンターでもあった。
 一人称で本を語るのはとても楽しい。言葉の粒に本への愛情が乗るからだ。だが,人がこの本をこう言ってた,というのは案外,ノってきづらいものなのだけど,それをスパイスのように使って来た。読者として,当然,原田がこの本で紹介する本をすべて読んでいるわけじゃない。だが,一時,熱心に読んだ小林カツ代の項など,とてもよくわかるのだ。なぜ,ここで原田が小林カツ代を使うのか,そして小林カツ代の偉大さも。
 神保町界隈の食の話しと読んでもイイだろう。だが,原田が本について,本への愛について語りたかった一冊だ。


読書感想文「近江から日本史を読み直す」今谷 明(著)

 近江を考えることは一つの厄介である。
 琵琶湖を囲むすべての道が街道なのだ。東海道中山道,北国街道,若狭街道,塩津街道。京の都に入る前に湖水を横目に,もしくは湖水の上を経由して一度,この地を行き来するのだ。当然,人々は多様で一筋縄ではいかない。それ故,一々,日本史上のトピックがいつの時代にもこの地にはある。やれやれ,厄介だ。
 なにせ,古代の世の継体天皇から始まるのだ。渡来人が政権で重要な地位を占める時代である。都とはやや距離を置きながら,いざという時に都に向かうことができるぞ、と示威的な姿を見せつけることができる。近江とは,この後も都を睨む存在である。土地は豊かであり,若狭や三国から都までは,絶対的な位置は離れているが陸上移動する距離は僅かである。都に近いくせに人やモノが行き来し,土地に記憶が蓄積される蓄電池のような土地だ。
 近江という日本史のウラ番長。これからの時代を睨む上でも近江からの視点で日本を俯瞰してみてもイイのかもしれない。