先日,内田樹のブログに次のとおり,書いてあった。
先日のEngineのスズキさんのインタビューのときに話した「日本属国論」をもう少し展開してみる。
『街場の中国論』にも書いたのだけれど、日本は「辺境」の国である。
地理的にどうこうというのではなく、メンタリティが辺境なのである。
「辺境」というのは、「中央」から発信される文物制度を受け容れて、消化吸収咀嚼して自家薬籠中のものとしたのち、加工貿易製品として(オリジナリティはまるでないけど)お値段リーズナブルでクオリティの信頼性の高い「パチモン」を売り出す、そのようなエリアであることを言う。
「辺境」の基本的な構えは「学習」である。
「キャッチアップ」といってもいい。
これを読んで司馬遼太郎が,文明を興すことから語っていたことを思い出した。
日本は,文明は海外にあるとおもってきました。儒教も仏教も明治後のヨーロッパ文明もすべて海外にあり,このため日本人は,自分で普遍的思想を考えることをしませんでした。そういう条件にはなかったのです。
また文明受容という点でも,面としてべったりとうけ入れたことはありません。つまり文明国から占領されて(たとえばローマに支配されたガリア−−いまのフランス−−の地のように)それをうけついだということはなかったのです。
日本の場合,風変わりでした。みずから遠くへいって摂取するというかたちをとりました。七世紀初頭もそうでしたし,十九世紀後半もそうでした。留学生を,はるかに派遣するという方法でした。
理由は,孤島であること。ユーラシア大陸の諸文明から,地理的に離れていたためです。
他の文明(古くは中国文明,十九世紀以後はヨーロッパ文明)を征服を通じて受容したのではなく,自立しつつ,つまり文明を情報化することによって,自らつくりあげたのです。情報とは,ニュースと知識のことです。
p.186〜187 「春灯雑記」踏み出しますか
司馬遼は,内田樹がいう「辺境」における「学習」「キャッチアップ」を,孤島であるがゆえの派遣による摂取と言っている。では,ここでいう文明とは何か。内田樹の言う文物制度とは少し違うようだ。
文明というのはあいまいなことばで,むろん社会科学の用語ではありません。各民族が国のわくを超えてそれに参加したいと願っている価値,あるいは−−煮つめれば−−基準というものでしょう。ローマ文明の基準は法と土木であり,十五,六世紀までのヨーロッパでは,ローマ文明の栄光の終焉に膚接して興ったカトリックが文明そのものでした。
文明とは,たとえば航空機文明に参加するには,離着陸のときに,シート・ベルトを締めるという程度で済むほどに簡便なものでなければなりません。定義としていえば,たれでも参加でき,参加すればたれも普遍的な価値を観ずることができ,そこに便利さと平和を感ずることができるというものでなければなりません。
p.182 「春灯雑記」踏み出しますか
なるほど,基準か。では,現在の社会における基準とは,
さて,文明というのは基準であるということは,すでに触れました。
自由と人権をまもるといういまの文明の基準は,二十世紀もおわろうというこんにち,ほとんど世界の公理のようになっています。ある国の政府がその人民を抑圧している,という状態があるとしますと,他の国がクレームをつけます。
p.196 「春灯雑記」踏み出しますか
戦後の日本は,国内的には自由と人権ということでは,十分といっていい水準に達しているでしょう。
しかし他国の人権あるいは自由という面での窮迫の状態に対して,他の国々に率先して苦情を申し入れるというほど,朗々と自信のある姿ではありません。自信というよりも世界の現段階での文明を一人背負っている,という自負はない。
いま,それをもつ者は,アメリカでしょう。あるいはイギリスとフランスでしょう。日本はそれに従っているにすぎません。
p.197 「春灯雑記」踏み出しますか
なるほど,日本は文明の受容国ではあっても,基準をつくる側ではない,と。
さて文明の基準の中に,それにやや声を小さくして市場開放ということを入れてもいいでしょう。市場ということには,労働市場も入ります。
p.201 「春灯雑記」踏み出しますか
ここから,いよいよ日本国内について,司馬遼が語りだす。
「法によって万人は平等である」
ということを,日本人は一人残らず知っていますが,しかしその平等性がタフであることを試されていないのです。たとえば,
「隣も,むこう隣も,そして町内の半分が,外国系である。しかも法によって平等である」
というふうな試され方は,していないのです。
p.203 「春灯雑記」踏み出しますか
確かに,そのとおり。そんな経験は私どもはしていない。私どもの基準とはどの程度のものか。
私どもは,現在の文明のにない手としては,ほとんど近似値までいっているようにおもいます。たとえば,自由であること,日本社会は自由ですね。かといって,自由を世界に売りだすほどに(文明のにない手は,文明の押し付け手でもあります)タフな自由ではありません。
たとえば,さきに触れました労働市場の自由性についてです。仮に他国に自由を押しつけるからには,自らも自由でなければなりません。“どうぞご自由に,すきなように日本にいらしてください,,そして永住して働いてください,一定のゆるやかな基準によって日本国民になることができます”というふうなレベルには,私どもは達していないのです。
p.204 「春灯雑記」踏み出しますか
それだけの脆弱なものなのだ。内田樹もここまでは,同意するのだろう。だからゆえ,
「辺境」は(自分が辺境だという意識を持ち続けることによって)はじめて「中央」を知的に圧倒することができる。
日本の歴史はその逆説を私たちに教えている。
戦後62年、「アメリカの辺境」という立ち位置にとどまることによって日本は世界に冠絶する経済大国になった。
日本人がバカになり、世界に侮られるようになったのは、80年代のバブル以降であるが、それは日本人が「オレたちはもう辺境人じゃない。オレたちがトレンディで、オレたちが中心なんだ」という夜郎自大な思い上がりにのぼせあがった時期と同期している。
学力低下もモラルの低下も、みんな日本人が「辺境人」根性(「いつかみてろよ、おいらだって」)を失ったことにリンクしている。
だから私が申し上げているのは、属国でいいじゃないか、辺境でいいじゃないか、ということである。
という。しかし,司馬遼はそうした甘さ許容しない。至ってクールだ。
ともかくも,アメリカの開放的な市場経済の社会に手も足もつっこんで成功した以上は,自らもアメリカと同様のレベルで市場開放せざるを得ないことは,当然のことです。
このままの成長を続けていれば,やがて労働市場も,いまの幅などよりはるかに大きな規模で開放せざるをえなくなるでしょう。“国際化”などというような口頭禅ですむ規模ではありません。
p.204 「春灯雑記」踏み出しますか
内田樹が「辺境でいいじゃないか」といったところで,司馬遼が返すのは「辺境でいつづけられますか?」の問いである。
ともかくも,日本が閉鎖的でありえた段階は,いまがぎりぎり一杯のところだろうとおもいます。
あとは,多様性のなかで,根幹になる日本の炉心のようなものが溶けてしまうか,つまり骨無しの多様性になって泥沼のようになるか(そういう国はほろびるでしょう),それとも日本の炉心(アメリカでいえば,初期のプロテスタンティズムのようなものです。日本の場合は,武士道とうけとってもよく,江戸っ子の心意気とうけとってもいいでしょう。江戸っ子の心意気は,流入してくる他地方からのひとびとのなかで,普遍性として,醸しだされたものです)をたかだかとのこして,のこすことによって多様性に堪えられる精神的体力をつくっておいて,日本を普遍化させてゆくしかないのではないでしょうか。
要するに,“日本人はいいやつらだ”というものを再生産してゆくことしかないのではないでしょうか。やや抽象的にいえば,古来の日本精神史における“いい感じの日本”というものを再発見して再充電しつつ,多様性に堪えてゆくしかありません。
p.205〜206 「春灯雑記」踏み出しますか
引用していない部分で,司馬遼太郎はしきりに,私は「ためらい」「ひるむ」「不安がある」「いまのままがいい」と言う。それでも,問いかける「踏み出しますか」?と。
私はそこに責任ある言論人の姿を見る。悩み迷う。その中にあって,経済的に巨大になった日本を世界から見た際にとらざるをえない道に「踏み出しますか」と問う。厳しいが大人の言葉である。対して内田樹は,まるでぐずる子どもである。

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