「だれが悪い」などと言い続けているとオバケになる

 内田樹社会保険庁のトラブルについて,「Who is to blame?」のタイトルで次のように語っている。

システムをクラッシュさせた責任は「誰に責任があるのだ」と声を荒げる人間たちだけがいて、「それは私の責任です」という人間がひとりもいないようなシステムを構築したこと自体のうちにある。


Who is to blame?

他人の犯したミスを「私の責任でただします」というようなことを社保庁はその吏員に求めていない。
社保庁だけでなく、日本的システムは総じてすべてそうである。
いったん事件化したあとになって「誰のミス」であるかを徹底究明することには熱心だが、事件化するより先に「私の責任」でミスを無害化する仕事にはほとんど熱意を示さない。


Who is to blame?

「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。
前途遼遠だが、それしか方法はない。


Who is to blame?


 「私がやっておきます」とは,「それは私がやること」との認識を持っているということだ。これはどこからくるのだろうか。私は司馬遼太郎の講演を思い出す。

「そうすることが,私の義務ですから」
 と,ゆたかに,他者のための,あるいは公の利益のための自己犠牲の量を湛えて存在している精神像以外に,資本主義を維持する倫理像はないようにおもうのです。でなければ,資本主義は,巨大な狂気に化するおそれがあるとおおもいになりませんか。日本における土地問題をご連想くだされば,狂気という意味がわかってくださるとおもいます。むろん,環境破壊のことを連想してくださってもかまいません。
 資本主義時代がはじまる前に,その前ぶれ時代に,英国はすでに,それを支える倫理の結節点として義務という倫理をうみました。
 私どもの日本社会は,武士道を土台にしてその“義務”を育てたつもりでいました。しかし日本の近代史はかならずしも十分であったとはとてもおもえません。


p.253 「春灯雑記」 義務について


 こうした他者との関係おいて自身に課すものとしての“義務”。これの発祥をイギリスに見る。

 英国人の国民的性格は,ざっといえば,プロテスタントがつくったものとおもいます。


p.234 「春灯雑記」 義務について

英国ではすでに先進的に毛織物がさかんで,それを売るための貿易という大商業−−ここでは仮にビッグ・ビジネスと申しておきます−−がおこって,英国の世は,農業だけという単純なものではなくなってきたのです。
 ビッグビジネスは,組織がやるものです。
 それに参加しているここのひとびとは,ビジネスの部分的機能を果たさねば,ビジネス全体が,故障した機械のように動かなくなるということを最初に知った国民のなかに,英国人も入るでしょう。


p.235 「春灯雑記」 義務について

プロテスタント初期の英国人はそれ以上に,神という電源から電流を絶えず流し込まれているように,厳格に自分を律しておりました。
 自律ということは,この時代,たとえばビッグ・ビジネスのなかにいるとき,全体のなかにおいて自分の役割を,自分で考えるという能力あるいは精神をそだてることにも,大きく作用しました。
「自分は,いまなにをなすべきか」
 こんなことを,当時,カトリック国のたとえばスペインの農民なら思いもよらなかったでありましょう。


p.236 「春灯雑記」 義務について


 このことを通じて,1588年にイギリスがスペインの無敵艦隊を破ると司馬遼は言う。

 スペインの大海軍に対する英国の唯一の武器は,目に見えざるビッグビジネスの感覚でした。英国側は,海戦を一つのビジネスもしくは組織的ゲームとしてみる感覚をもっていたのです。


p.238 「春灯雑記」 義務について

 このドーバー海峡での海戦には,英国側の強みの要素として,もう一つあったでしょう。それはひろい海域をかけまわっている各船の船長が,
「自分はいまなにをなすべきか」
 と考え,判断し,実行する能力をもっていたことです。


p.239 「春灯雑記」 義務について


さらに,1805年のトラファルガー沖のフランス・スペインの連合艦隊を破るネルソン提督へと話しが進む。

 この提督は,戦いの最中,銃弾にあたって艦上で戦死しました。
 ネルソンの戦法は,軽快な一船隊を運動させて敵の後ろ半分をおびやかしつつ,かれ自身は主力をひきいて敵と並んで走りつつ砲撃を加えるというものでした。いずれにしても隊形は錯綜します。このため一船ずつ船長が全体の中の自分の役割を考え,自ら判断して自分の行動きめてゆかざるをえなかったのです。
 このことは,まことに当時の英国の経済社会におけるビジネスのやり方そのままでした。
戦後,
「英国の館長のなかにはネルソンの職がつとまるものがたくさんいて,極端な言い方をすればどの艦長もネルソンになりえた」
 といった批評がありましたが,もっと極端にいえば,英国海軍は,あたらしい文明のタイプであるビッグ・ビジネスどおりにやった,ということができるでしょう。

「義務」
 この新しい倫理学上の概念について,私はこれが英国のいわば“発明”だったといいたいのです。私の話も,やっと能舞台にたどりついたようです。
 艦上で銃弾を受けたネルソンは,最期のことばをつぶやきます。かれは神に感謝したあと,
「私は,私の義務を果たした(I have done my duty.)」
 と言ったといわれています。義務−−まことに平明で,いわばいまなら会社員がみな身につけている倫理です。それがネルソンの最期のことばでした。


p.240〜241 「春灯雑記」 義務について

この義務は,べつに法律上の恐ろしい拘束性や強制力をもったものではありません。たとえば,似たことばとして責務というべきオブリゲーション(obligation)とは,語感においてちがうようにおもいます。
 自分が自分できめた−−全体の中の自分の役割を考え−−自発的に,“自分はこうあるべきだ”として,自分に課した自分なりの拘束性,それが duty であったろうとおもいます。


p.245 「春灯雑記」 義務について


 ここで冒頭の内田樹が語る「私がやっておきます」へと話しを戻す。「私がやっておきます」と感じるための“duty”が,司馬遼は日本では十分ではなかったと語る。では,これを持つようにするとはどうすることなのか。

 日本語で,
「得体の知れない人物」
 という言葉があります。得体は正体ともちがいます。得体とは倫理的なルールがあるもしくは他者の目からみてそういうルールが読みとれる,ということで,得体が知れない,というのはオバケのような感じのする人物のことです。


p.252〜253 「春灯雑記」 義務について

 人間も企業も,つねに得体が知れなければならない。それは,新鮮な果汁のようにたっぷりした義務という倫理をもっていることであります。


p.253 「春灯雑記」 義務について

 なるほど。そうすると,この司馬遼の言葉を借りれば,いまの社会保険庁とは「得体が知れない」存在であるのだろう。倫理的なルールが見えないのだから。
 義務を果たさずに,いつまでも「だれが悪い」などと言い続けているとオバケになっちゃうぞ,という話しである。



春灯雑記 (朝日文芸文庫)

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