大本営でも官房でもなくなっちゃった人事セクションな話。


 春である。世間的には,組織改編や人事異動の春である。組織の中枢であったり管理掌握の象徴とされる評価権と人事権を持つ人事セクションが,いま日本中でもっとも華やぐ季節である。人事により悲喜こもごもの時節柄であるが,それを司る人事セクションを大胆にも「なくしちゃった」企業の話が,飛び込んできた。

 人事部なんていらない──。

 そう考えて、実際に人事部をなくしてしまった企業がある。それは、積水化学工業。ユニット型住宅「セキスイハイム」や住宅建材、高機能プラスチックなどでその名を知られる。同社は2007年1月、人事部を廃止。人材グループをCSR部の中に移した。

 人事部撤廃のほかにも、若手リーダー候補の育成や企業DNAの継承を目的にした「変革塾」、幹部候補生などビジネスリーダーを対象にした「際塾」、新事業を創出する事業化型人材を育てるための「志塾」など、この会社ならではの取り組みを続けている。独自の施策で注目を集める積水化学。その要諦を、大久保尚武社長に聞いた。

(聞き手は川嶋 諭=日経ビジネス オンライン編集長)


――グローバル経済が変調をきたす中、日本企業にも閉塞感のようなものが漂っている気がしています。社長は1999年の就任以来、社内活性化のために様々なアイデアを考え、実行してきました。今日は、その辺りの話を聞かせて下さい。

大久保 実は昨年、人事部をなくしてしまったんですよ。これは、積水化学60年の歴史の中で初めてのことです。企業の社会的責任(CSR)を果たすCSR部。その中に、人材グループを新たに作った。

 従業員は無数にある会社の中で積水化学を選んでくれた。しかも、従業員の多くは約40年、ここで働く。その会社がハッピーでなければ、それはとんでもないこと。せっかく積水化学を選んだ従業員が、「うっとうしいな」と毎日思って会社に来て、いい仕事をするわけがない。

 格好よすぎる言い方かもしれませんが、従業員は社会からの預かり物。従業員にいい仕事をしてもらうということは、文字通り、企業の社会的責任です。この理念をベースに置きたい。それで、あえて人事部をなくしちゃったんですよ。

――確かに、人事部というのは「管理」というイメージがある。

大久保 勘違いしちゃうんですよ。従業員は、人事部は何かうっとうしい所だと思いがちです。一方、人事部は人事部で人事考課をつけたり、異動させたり、社員を管理することが仕事と思っている。でも、僕に言わせれば、そんなのは仕事ではない。本人の持っている能力や可能性は氷山のようなもの。海の上に出ているのは1割程度でしょう。海の下に潜んでいる9割をどう発揮させるか。そういうことをやろうよ、と言っている。

 社員がみんないい仕事をすれば業績がついてくると僕は思っている。いい仕事とは、従業員がその仕事に惚れ込んで、その意味をきちっと理解して進めていくことです。従業員をそういう方向に持っていくにはどうすればいいか。それを考えると、人事部が異動や人事評価といった人事管理を行うというのはそぐわないんです。それは、人事部ではなくライン長の責任だからです。

 部下の仕事ぶりを知っているのはそのラインの長。ライン長ほど自分の部下のことを知っている人間はいない。訳の分からない人事部がどうこう言っても、本質とは関係がない。ライン長が従業員を育てるという意識をしっかり持って仕事をしていくのが理想でしょう。


人事部なんていらない!? (トップに聞く! 大変革の胸の内):NBonline(日経ビジネス オンライン)


このことの持つ意味は大きい。アメリカではもともと人事セクションはなく,この積水化学工業と同様に現場が採用,転勤,評価の権限を持つ。また,役員が「アガリ」のポジションではないため「企画」というセクションもない。そうした国でのリストラとこれまでのわが国のリストラを比較して,旧著になるが,モリタクは,こう言っていた。

 リストラの嵐が日本中を吹き荒れている。ブルーカラーもホワイトカラーも,中高年も若者も,昨日まで何ごともなく普通に仕事をしていた善良なサラリーマンに,突然リストラの魔の手が忍び寄る。一度リストラされたら,そう簡単には元の労働条件は取り戻せない。だから日本中のサラリーマンが頭を低くしてこの嵐が過ぎ去るのをただじっと待ちつづけている。
(略)
「こんなことになるなら,市場原理の導入などやらなければよかったんだ」
 そんな声もあちこちから聞こえるようになった。規制緩和,金融ビッグバン,機会の平等と自己責任……。バブル崩壊後に次々に行われた経済構造改革の政策は,電気通信料金の低下や航空運賃の多様化など,たしかに国民生活を豊かにするプラスの効果をもたらした。だが,虎の子の金融資産が一瞬で紙くずになってしまったり,自分の働き場が突然消失したりといった深刻な副作用があるのだったら,そんなもの始めから要らないと思う国民がいて当然であろう。
 とはいえ,中長期の視点でみれば経済構造改革を押しとどめることはできない。
(略)
 であれば,日本経済は市場原理主義への移行の中で,ずっと混迷を続けなければならないのか。いまの辛い状態は永遠に続くのだろうか。
 そんなことはない。実はいまの日本で「暴走」しているのは,市場原理ではない。暴走しているのは,日本の企業,とりわけ人事部,企画部,役員会といった日本企業の「大本営」なのである。


p.8〜9 「リストラと能力主義森永卓郎


 この大本営の権力暴走が日本型(妙ちくりん)リストラの正体だと言うのだ。

 いまの日本の雇用システムで最も問題なのは,人事部,企画部,役員といった「大本営」に何ら競争原理が働かないことだ。アメリカの経営者は,パフォーマンスが悪ければ,即刻株主から解任される。報酬も事業の成績いかんで大きく上下する。ところが,日本の経営者とその側近たちは,株式の持ち合い慣行に守られることによって,誰からもチェックを受けることがない。現場に厳しい能力主義を求めながらも,自分たちの処遇だけは,相も変わらず終身雇用かつ年功序列なのである。たとえば,日本の役員が受け取る報酬の中で,会社や担当事業部の業績によって変動する部分は,わずか十六・八%しかないというのが現実の姿なのだ(経済同友会「経営者意識調査」『企業白書』99年2月)。
 そうしたなかで,大本営にとっていちばん恐ろしいのは,それぞれの現場が自由と自己責任で完全に自立し,サポーティングスタッフとしての自分たちのパフォーマンスに注文をつけてくることである。「いま最もリストラが必要なのは,役員と企画部と人事部だ」。そんなセリフが現場から出てこないように,現場や従業員の自立だけは避けなければならない。そんな大本営の思惑が,現在行われているリストラを歪めてしまった最大の原因なのである。


p.36〜37 「リストラと能力主義森永卓郎


 リストラとは本社機能の効率化でありパックオフィス業務の改善が最優先されるのは経営の教科書で基本とされる話である。よって,積水化学工業は正しいというのが,結論である。あなたの組織の人事セクションはどうか?もう,ない?そりゃ,結構なことだ。それとも何か,「中央」やオカミというミギナラエと号令をかける「大本営」が実在しているのか。



リストラと能力主義 (講談社現代新書)

リストラと能力主義 (講談社現代新書)