福田前総理退任を,公文書館に関して,とても惜しむ


 福田前総理の肝いりで進んでいた「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」が,いよいよ最終報告案審議を迎える。10月16日(木)10時00分〜で傍聴が可能とのことなので,都合の良い方は,行ってみてもらいたい。

ここでまとまる最終報告を受けて,日本の公文書館および公文書管理施策が実際に進むかが問われるわけだが,この有識者会議において,学習院大学教授(京大名誉教授)の村松岐夫先生が次のとおり話されていた。

◎公文書の管理について、村松岐夫先生より資料に基づき説明。その後、説明に関する質疑をおこなった。村松先生の説明内容は以下のとおり。

●良いことも悪いことも記録に残すことは国家の本能。
●公務員は削減の流れだが、公文書管理については増員が必要では。
●担当大臣がいないと、閣議や国会とつながりが切れて不適当。
●重要な記録については、散在しないように早い段階から確保しなければならない。


公文書管理の在り方等に関する有識者会議(第4回)議事概要 平成20年4月28日


このうち,3つ目の担当大臣についてであるが,これを議事録で確認すると,

それと、組織形態ですけれども、公文書館が何か環境変化に対応して新しい要望をしなければならないというときに、担当大臣が常時いる状態でないと閣議や国会に直結しないのではないか。今は上川大臣がいらっしゃいますけれども担当する大臣が常に存在すべきではないかと思います。(内閣府の長としての総務大臣は、この意味の担当大臣ではありません)公文書管理者が新しい要求をするとき政治のアジェンダに乗せていく手続はどう確保されるのかという問題があります。そういうことでレジュメに「担当大臣不可欠」と書いております。


第4回 公文書管理の在り方等に関する有識者会議 平成20年4月28日(月)
内閣官房 公文書管理検討室


いま,まさに公文書館制度を動かしている最中,しかも最終案を迎えようとしているときに,首相が退任した。その福田前総理は,この会議でこう言い残した。

5 議事の経過
◎福田総理より挨拶
(福田総理)委員の皆様は御多忙の中この会議に出席いただき、また、本年3月から議論いただき感謝。公文書館制度の強化への取組について日本は世界に後れを取っており、本来もっとしっかりしていないといけなかったが、ぽっかり穴があいたようになっている。4年前にも重要政策の一つとして取り組んだ。そもそも公文書は、国民に政府の情報を
提供する、世の中に事実を知らしめるための民主主義の原点であり、国民共有の財産である。文書をきちんと作って、収集していかねばならない。しかし、我が国の公文書制度は残念な状態と言わざるを得ない。他の国のように立派なものに追いつかないといけない。文明国である我が国としてふさわしい制度や施設が必要。具体的な姿は作っていただきつつあるが、最終報告に向けてさらに御議論をいただき、よろしくご指導をお願いしたい。お願いしておきながら、ご存じのように総理を引くこととなってしまい申し訳ない。私自身関心のある分野。機会があれば、新しい立場でもまたしっかりやっていきたいと思っている。政権は変わるが、重要政策は変わらない。
◎委員から福田総理に対して発言。
(加藤丈夫委員)総理は、御就任前から公文書管理の重要性を認識しておられて、総理の熱い思いがこの有識者会議のベースになった。中間報告が早くできたのも、担当大臣を指名し、並々ならぬ熱意による後押しがあったからだと思う。時を貫くという言葉が中間報告にあるが、総理からも引き続きこの問題を見ていくという心強いお話を頂いた。設備の充実と人員の増強の課題もある。この仕事は後世に残る仕事である。引き続き是非御指導をお願いしたい。
(後藤委員)この問題は、総理が突破口をつくり、道筋が作られた。これからも引き続き力をお貸しいただきたい。
(福田総理)公文書は、私は日本の歴史というものの証となるのが公文書だと考えている。日本がこういう国だったという事が、将来の国民に分かってもらえるようにすること。例えば、将来の国民に、2008年に急に日本の総理大臣が辞めてしまったということも含めて、その記録が紙になるのか電子になるのか、100年経つと技術も変わるので、先のことも考えてもらいながら、将来的にも国民が容易にアクセスできる仕組みを整えてほしいと思っている。理想的なものに一気に行かないかもしれないが、できることからしっかりと進めていくことが大事。


公文書管理の在り方等に関する有識者会議(第10回)議事概要 平成20年9月4日(木)

この発言は,翌日以降マスコミで嘲笑された。しかし,こうした時の政府の都合の悪いことがアーカイブされることが公文書管理,公文書保存の本質を突いているのであるし,福田前総理の前向きな意思を,まじめに汲んでもらいたかった。
 こうして思い入れのあった福田政権下では,上川陽子中山恭子の2人の担当大臣がいたわけだが,これが麻生政権になって,

小渕優子氏がどうやら公文書管理担当相に就任している「らしい」。
「らしい」と付けているのは、公式発表でどこにもそんなことが書かれていないためである。


小渕優子公文書管理担当相?:源清流清 ―瀬畑源ブログ―:So-net blog

政局に揺さぶられっぱなしの会議、今日は小渕大臣があいさつした。公文書管理担当大臣は、継続中。


文書基本法成立を目指して : 有識者会議で小渕大臣あいさつ!


というなんだか心許ない状況であり,有識者会議も終了に向かっている。
 ここで公文書館について,確認をしておく。

諸外国においては、国立公文書館を国家存立の基本的な機能であると理解し
て制度が整備され、運用がなされている。国立公文書館の体制について、職員
数を比較すると、我が国が42人にとどまるのに対し、米国2500人、カナ
ダ660人、イギリス450人、フランス440人、中国560人、韓国13
0人となっており、日本の公文書館は諸外国に比べ、けた違いの規模にとどま
っており、体制の差は歴然としている。


p.1 はじめに 「公文書等の適切な管理、保存及び利用のための体制整備について −未来に残す歴史的文書・アーカイブズの充実に向けて−」平成16年6月28日 公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会


福田前総理の意図は,こうした現状を憂うものであった。それにしても日本の数字は「まるでやる気無し」とはこのことだ。
 そして,この公文書館の意義とは,

(4)将来に対する説明責任を確保する仕組み
公文書館は、単なる歴史保存施設ではなく、人権擁護や説明責任のため
の、民主主義の本質に深く関わる施設である」(第8代合衆国アーキビスト
ジョン・カーリン)。
欧米では、国家の機関の重要な意思決定は、常に将来の世代における歴史
としての評価を念頭におかれてなされている。また、韓国において近年の公
文書館制度の充実(記録文化ルネッサンス)の原動力となったのも、「公文
書館なくして民主主義なし」(No Archives No Democracy)という理念であ
った。
現在、我が国における各種の制度や運用に影響を与えてきた「政治や行政
はプロに任せて民は黙って寄りかかっていればよい」、「ムラの恥を広い世間
にさらしてはいけない」といった考え方は、急速に後退し、修正されつつあ
る。これを象徴するのが、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(平
成11年法律第42号。以下「行政情報公開法」という。)の制定とその定着
であり、さらには、今年の通常国会で成立した「公益通報者保護法」(平成
16年法律第122号)である。
我が国では、行政の「説明責任」は、主として同時代の国民に対するもの
として理解されてきたし、行政文書の開示のための制度である行政情報公開
法はそうした目的に資するものとして制定されている。一方、諸外国では将
来の国民に対しても「説明責任」を果たしていくことが制度として要請され、
国の機関に勤務する個々の職員にも浸透している。
諸外国では、国の機関の意思決定に関わる記録を後世に残す制度が整備さ
れているなかで、重要な意思決定に関わる者は、後世の評価にさらされるこ
とを常に念頭に置いて行動することが求められている。一定期間は公開にな
じまない分野が認められ、そうした分野には厳格な秘密保持が図られる一方、
後世における歴史の批判の可能性を確保することで公正な意思決定が担保さ
れる。公文書館は、そうした後世の評価の材料を保存、提供する重要な社会
基盤として機能している。
国の機関が作成し、又は取得した公文書等は、その組織の活動記録である
だけでなく、広く国民が共有すべき貴重な記録である。公文書等を適切に管
理し、後世に残すべき価値のある重要な公文書等の体系的な保存を行うとと
もに、国民の利用に供するための制度を整備することは、我が国の「この国
のかたち」のありようが問われる国の基本的な責務・機能であって、同時に
将来の発展への基盤である。
ここにおいて公文書館制度を担う人材である公文書等の管理の専門家は、
組織的(組織内部における)・民主的(広く社会に対する)・歴史的(後世
に対する)説明責任と密接に関連するものとして位置づけられる。


p.5〜6 1基本的な考え方 「公文書等の適切な管理、保存及び利用のための体制整備について−未来に残す歴史的文書・アーカイブズの充実に向けて−」平成16年6月28日 公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会

長く引用したが,これほど重要なものなのだ。そして,このことが広く認識されていない現状がある。それは中央政府公文書館に限らない。

公文書館は、国立公文
書館ばかりでなく、全国の46の地方自治体において設置されており、それ
ぞれの自治体においてその地域の公文書の保存を担う重要な役割を担ってい
る。これらの地方自治体のなかには、国よりも先進的な制度を持つところも
あり、検討の材料とした。
地方自治体は、国と異なる様々な状況にあり、特に市町村合併が進むなか
で歴史資料として重要な公文書等の散逸が懸念されているが、本報告で扱っ
ている内容が、地方の公文書館制度のあり方を検討する際にも参考になれば
幸いである。


p.8 1基本的な考え方 「公文書等の適切な管理、保存及び利用のための体制整備について−未来に残す歴史的文書・アーカイブズの充実に向けて−」 平成16年6月28日 公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会


この3年前の懇談会において,地方自治体の公文書保存が,すでに懸念されているのだ。
 wikipediaにより,地方の公文書館の実態を確認してみたい。都道府県は,31。政令指定都市で,7。市区町村で,21。もちろん,既存の図書館において公文書収集機能をもっていたり,博物館における郷土資料コーナーで歴史資料として保存されている事例もあるだろうが,「公文書館」として必要なスペックを持ち合わせているのは,全国でこれだけ,ということになるのだろう。
 「公文書館なくして民主主義なし」「将来の国民に対する『説明責任』」を考えるとき,北海道における道庁の北海道立文書館,一つだけの現状とは,惨状である。民主主義がなく,後世に語る責任を負わないのだ。


 イギリスの政治学者J・ブライスの言葉「地方自治とは民主主義の学校」とはよく言ったものだが,そこにおいて率先して公文書館を欠き民主主義を否定しているのであれば,なんたる皮肉だろうか。
 分権型社会の到来は,民主主義が問われるのではないか。それこそ市民が求める説明責任を後世に渡って担保するものでなくてはならない。そのための公文書館だ。
 これでいいのか。最後に,finalvent先生の公文書館に関してのエントリーから引用して結びとしたい。

 日本では、民主主義というのが多数決と同義語になってしまっているが、まるで違う。民主主義とは、正義に国民が向き合う制度であり、その最大のポイントは権力の制御だ。だから機構もややこしい仕組みになっているのだが、そうした機構とは別に、さらにその「選択された正義」を歴史の審判に仰ぐことで、自分たちの正義を裁きうる謙虚さが含まれている。少数の意見や間違いとされた決定をけして歴史のなかで消失させないということをもって、今の正義の根拠ともしているのだ。


極東ブログ: 公文書館なくして民主主義なし