ウチダカズヒロのブログ

最近は読書感想文を書いてます。オススメ本を教えてください。読書感想文のご依頼あれば、読みます(たぶん)。kazgeo@gmail.com まで。

女子の主張とサクセスとその向こう−山崎ナオコーラ著「この世は二人組ではできあがらない」を読んだよ。


 山崎ナオコーラの最新刊を読んだ。
 いまの女子の思考の底流を理解することになる一冊だ。そして,女子であることの様々な幻想からの自由を獲得する煩悶のモノローグだ。

「つきあって」と言うので,「はい」と返事しておいた。「つき合って」というのは現代日本の恋愛用語であり,パートナーと呼ぶほどではないが,他人を前にしたら「彼」だの「彼女」だのという三人称を「特定の異性」という意味あいで使って紹介し,その異性と「つき合い」をやめるときには別れの挨拶を必要とし,それなしで他の異性と仲良くなると「浮気」だの「本気」だのという言葉を使うことになるということを暗黙の了解として共有したい,という科白である。


p.24 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


 あ〜,メンド臭い。と思われたあなた,同感だ。ただ,こうした辞書のような男女の「おつき合い」とは?の定義を,冒頭ですることで,「これから理屈を言って主張を始めますよ」のゴングが鳴ったのだ。さて,主張におつき合いすることにしよう。
 3月につき合いはじめた主人公と彼。主人公である彼女は,ゴールデンウィークミャンマーに一人旅に出かけた。そのことで言い争いになった。

彼は「日本」においても,若い女が夜中に歩くことに眉をひそめる。「女の子は家にいるべきだ」と思っているのだ。
貞操を守るために生きているわけじゃない」
 私は言い切った。
 文化的に発展した国おいても,決まった男に操を立て,子を産み,その男に子育ての手助けをしてもらうことが,幸せと定義されるのだろうか。私は子どもを生みたいが,周囲の雰囲気に飲まれて産むのは嫌だ。もちろん,自分さえ楽しく生きられればよいと考えているわけではなく,死んだ後の世界をより素敵にできるような生き方がしたい。人間として生きていくにあたって,個人として過ごすだけでなく,周りの人間の役に立ちたい。そのとき,もしも子どもを産まなければ人類の役に立てないと考えるとしたら,同性愛の人たちにはどう言うのか。子どもを産まなくとも社会を明るくしている人は大勢いる。現代日本における「少子化対策」「不況を乗り切るためには連帯や結婚が大事」というプロパガンダ,それは「産めよ,増やせよ」と第二次世界大戦下に謳われたのと同じだ。
 現代社会に合わせて人生設計を立てるなんて,ばかだ。社会というのは,作れるものだ。そこに合わせて生きるのではなく,大人になった私たちがこれから構築し,新しい生き方を始めるのだ。もっと寛容な,未来の社会に人生を設定して,これからの時代を自分で作りたい。
 まるで戦時下みたいなたくさんの死者が,自殺によって生まれているこの国で,私はまだ,自分が何をすればよいのかを知らなかった。


p.34〜35 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


すがすがしくないか?私はずいぶん,気持ちがイイ。若い連中がこれほどのことを言ってくれれば,さあ,どうぞ,と道を空けてあげたい。
 一つキーになるのは,彼女は「私は子どもを生みたい」と積極的に思っていることだ。もちろん,それ当たってのエクスキューズはある。このことは,彼女の上の世代とずいぶんと違うところだろう。子どもを産むことを肯定することだ。もう一つのキーは,「現代社会に合わせて人生設計を立てるなんて,ばかだ」と思っていることだ。このことに語られる彼氏の人生の選択に向けられる。

 どうして男は,少女マンガとレディースコミックを分けたがるのだろう。
少年マンガにも,性描写はあるでしょ?少年に性欲があることは肯定してるんでしょ?」
 女のことを,性的な存在になってからが大人だ,と捉えているのではないだろうか。男のことは,性に関係なく,社会的に有能になってからが大人だ,と捉えているのに。
 「うーん」
 紙川さんは納得しかねるようだ。
「女だって,セックスで大人になんじゃない,社会でのし上がって大人になるんだよ。社会的成功で成長するの」
 私は教えた。
「でも,少女マンガは大抵,恋愛ものでしょ?それで,キスもないような世界でしょ? ばかにしてるんじゃなくて,僕も少女マンガが好きだから……」
「私も少女マンガは好きだけど,男の人がそういう世界を『少女』と定義するの反発したいよ」
「シオちゃんだって,少年マンガの努力友情勝利みたいな小説家にはなりたくないでしょ?」
「いや,私は少年マンガの主人公になりたい」
「ええ?」
「おまえがよいって言ってくれるだけじゃ,私の小説は社会に出ねぇんだよ」
「賞のために書いているの?」
少年マンガのヒーローみたいに,賞が欲しいの」
 文学賞とは,社会の切符なのだ。
 男に褒められたとこでなんになる。作品は社会的にしてなんぼだ。
 私は自分の書いた小説を褒められたいわけではなく,社会へ出したかった。


p.46〜47 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


わはは,彼氏・紙川,しょーがねーなー,もう。お前,少女マンガ読まな過ぎ。いや,別に読まなくてもいいけど,たいして読んでないくせに「僕も少女マンガが好き」とか言うな。恥ずかしいぞ。お前が読んでるのは,りぼんか。いや,りぼんですらないな。
 著者が挑んでいるのは,「男に張り合った女子 → 挫折 → 恋愛・死・没落」の,これまでにあふれる女主人公の物語の否定だ。イイね,ガンバレ。

 ところで紙川さんは,永遠に塾のアルバイトを続けるつもりではないらしい。
「公務員になりたい」
 と言い出した。来年に公務員試験を受けて,再来年には公務員になる。そう決めたという。
 塾の仕事は人生経験になるものだ,と私の羨望の的だ。アパートでは参考書を開いて予習し,塾に行けば子どもたちに一生懸命教え,受験シーズンには失敗したこのことで泣く。私のやっている仕事よりもドラマがある。やりがいのあるように見える。しかも,アルバイトとはいえ,契約社員の私よりも給料が高い。
 それにもかかわらず,公務員になりたいと思うのは,紙川さんのおそらく男としての気持ちがあるのだろう。


p.47〜48 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


いや,もう何にも言いたくなくなる。公務員って雇用先が政府・公共機関だってことで,職能でも職種でもなんでもないでしょ。雇用契約上にあらわれるものであって,自分自身をアイデンティティに関わるものではないのだけどね。はぁ,公務員って,いったい。国立大学教員も,消防士も,保健師も公立図書館司書も,議会事務局職員も公務員なんだけどね。男としての気持ち?,うへえ,気持ち悪う。武士になりたい,ということ?わからんよね。

「国語っていうのは,本来は教えられることじゃないんだよ。読みに正解はないんだから」
 そんなことを,紙川さんが言っていた。塾で仕事をするうちに考えたことかもしれない。
「いや,正解はあるよ。読解能力を試すテストは,きちんと作れるよ。私は子ども時代に国語が得意だったから,わかる。そうじゃなくて,読解能力テストで芸術センスを量るようなことまでやろうとするのが間違っているんだよ。『国語』という科目と,『芸術国語』という科目と,二つに分けたらいいんじゃないかな」
 私は自分の意見を言った。


p.49 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


『日本語』と『芸術文学鑑賞』の科目名でもよいかもしれないね。『芸術文学鑑賞』で,書道や詩作,古典もやったらよいよ。

 議論は涙と共に進んだ。
 話し合いの最中に涙を見せてはいけないというのは,世界のルールだろうか。
 なぜ,泣いてはいけないのだろうか。
 もしも仕事中に泣いたら駄目なのだとしたら,上手く喋れる人だけで社会が成り立ってしまう。しどろもどろで喋る人が抜群のアイデアを持っていることもあるというのに,それは切り捨てるのか。
 論理の成り立つ場合にしかコミュニケーションを成功しないという考えは,世界を狭める。
 恋愛シーンに限らず,仕事の場面でも泣いて構わない,と私は考えていた。「泣いてはいけない」という社会通念は,男社会だった頃のただの名残ではないだろうか。現代においては,男っぽく仕事をする必要なんてない。
 泣かれて動揺する方が悪い。泣く方は,何も動揺させるために泣いているのではないのだから。相手が動揺するから,「泣くな」,社会的な場所では,「感情を出すな」というそれは,肌を見せられると劣情を起こしてしまうから,「ベールを被れ」という論理と,同じではないのか。


p.50 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


新ルールは,泣かれたぐらいでビビるな,であろう。だって,パワハラ,セクハラにまみれた職場に限らず,怒鳴るは,わめくは,日常なのだから,そのことにビビるな,と同様に。
 また、物量で仕事をした時代が終わり,感情や心理で経済が動く時代なのだから,感情があふれることが前提ということだ。

 私は不思議に思う。
 ヨーロッパなどでは,国民の情報は,個人で登録されているという。誰と誰の間に産まれたかになんて関係なく,人間が存在している時点で,籍を与えられる国もあるという。
 戸籍というのは,「日本」や「韓国」など,東アジアの一部にしかない制度だ。
 家族にはいろいろな形があるのに,「『夫婦』と『その子ども』を定型とする」という常識を,国が作っているようだ。
 現代日本において,戸籍にどういう情報が載っているのかを調べる人は,あまりいない。普段の会話に「戸籍」という言葉は,出てこない。婚外子であるだとか,離婚歴があるだとかを気にする風潮は,もうほとんど消え去っている。
 だが,結婚記念日を,結婚を決めた日でも,結婚式を挙げた日でも,一緒に暮らし始めた日でもなく,婚姻届を提出した日にする人たちは多い。二人で同居して,お互いの親類や友人に相手を紹介すれば,すでに古来の意味での「結婚」を十分に済ませているというのに,現代人は国に認められないと,結婚が成立しないと考えているのか。
 芸能人の結婚報道は,「つき合っている」だとか,「一緒に暮らしている」だとか,「式を挙げる」だとかよりも,「いつ戸籍の届けを出したか」に焦点が当てられる。
 やはり,「日本」が,個人や「個人と個人のつながり」を,どう捉えているかが,「私たち」の,「他人」や「他人同士の関係」を見る基準になっているのだ。


p.66 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


オカミなのだ。仲間内の信用よりも,オカミの決めが重要なのだ。こんなことで地方分権(主権?)なんて大丈夫か?かなり,あやしい。当事者間で決められもしない連中の集まりが権利を振り回し出したら,危なくてしょうがねー。もちろん,オカミの強過ぎる力を分散させること,市民が力を取り戻すことは大事なことは変わりない。

「女の妊娠は,社会的役割を果たしたということ」
「子どもは社会の子ども」
 世の中では,そう捉えられるのだ。
 私はうらやましくて死にそうになった。


p.134 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


世の中はそう捉える。と,無言の圧力を加え続ける。こうして自由から遠のく。

 子どもがいたら,国から自分の存在意義を認めてもらえるような気がする。子どもを育てている人は,それだけで社会性を与えられているように見える。


p.136 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


主人公は,社会に立ち位置が欲しい。社会とつながっていたい。そして,自由であることととつながりを持つこととは矛盾しない。

 この先ずっと,月収が二十万以下でボーナスはなし,産休もなしだとしたら,子どもは産めない。小説は書くが,それで稼ぐ気は毛頭ない。小説を書く時間を保てる労働時間で,且つ一人暮らしができる収入のある正社員,というのはすごく難しいのではないだろうか。そのあとに,子どもを産めるような人生を築くのは,さらに困難なはずである。


p.138 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ

 会社の,私の斜め前に座っている女の子の顔が,最近どうも変だ。
(略)
 私が聞き返すと,
「私,昼に出社して,深夜まで働いていて……。社会から取り残されていっているように感じるの。これでいいのかなって,いつも考えちゃう。結婚を考えていた彼とも最近別れちゃったし」
 続ける。
 全く同じだ。
 自分の弱さを個人的なものだと思いこんでいたが,もしかすると,社会の弱さなのではないだろうか。みんなが同じことで苦しんでいる。私たちは,社会において,とても凡庸な存在だ。

 個性がない。しかし,私はサラリーマンにもお母さんにもなれていない。子どもの頃は,大人になったら全員が,自分の子どもを育てられるのだと思っていた。
 しかしこの社会は,そんな風に生きられるような構造をしていないらしい。


p.139〜140 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


 日本国憲法にある「健康で文化的な生活」を思う。大人になったら,誰しもが自分の子どもを育てられるような暮らしの実現を阻む構造,いや,社会的な合意があるのだ。オマエタチハ,テーチンギンデモットハタラケ,ソシテ,モット,ワタシタチニ,ラクヲサセロ,と。高度消費社会の中,安くて便利な商品やサービスを嬉々として得るだけの強欲者がいるのだ。
 誰だろう?案外,身近にいるのだと思うよ。

 母はおそらく,女は男に優しく扱われるべきだ,という戦後日本に入ってきたアメリカ的価値感のもとに人生を捉えていて,女を大事にしない男と仲良くしようとすることを,女自身の価値を下げることだと考えているのだ。
「私は大事になんてされなくて構わないの。ただ,縁が切れるのが悲しいの」
 しかし私の考えは,母と違う。母の考えは古く,受け身過ぎるように,私には感じられる。自分の価値が上がろうが下がろうが関係ない。私は「見られる性」ではない。「見る性」だ。私は自分が気に入った男と仲良くしようと努めるし,金をかける。自分で関係を育てる。その関係が他の人からどう見られるか,相手の男にどう思われるかは大した問題にならない。私は,自分で大事だと感じ始めた関係が断ち切られることを,ただ自分で悲しんでいるだけだ。


p.144 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような,ダンス・パーティーがあり,クライマックスにはお姫様だっこをしちゃうようなマッチョな男とプリンセスとしての女。世界中がアメリカを含めてそーじゃネーよーなー,ギャハハと笑い出している時に,真剣に頷いている日本というとこか。そんなに男にタフさを求めちゃいけない。経済力を含めて。主人公はそのことに気づいている。イーブンでイイんだ,と。

「自分のことを好いてくれているわけでもなんでもない人たちと、たくさんの言葉を交わすのが,仕事ってものじゃない? 私,いまの会社に入って,パンを流通させるために,たくさんの人と話して,相手は私のことを大事な人とは思ってくれていないし,私に何の興味も持っていない人たちばかりだけど,パンを通して,たくさんの会話をいろいろな人と交わしたよ」
 花ちゃんは,新卒でパンのメーカーに入社していた。
「うん」
 私は,クラムチャウダーをすくいながら,耳をかたむけた。
「仕事っていうのは,他力を信頼するということなんじゃないかと思うの。社会を信用して生きていくってことは,言ってしまえば,他力本願ということだよね」


p.150 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


 すごいぞ,花ちゃん。自分が好かれていようがいまいが,相手との間に信頼を築き,言葉を交わすのが仕事だと。仕事における言葉が,社会に自分を存在させる。

 私はこのときまで,「仕事を頑張っている女は不憫だ」と心のどこかで思っていたような気がする。「『仕事のできる女』というだけで存在意義を認められていた一世代前の女たちと,自分たちの世代とでは,置かれている環境が違う」「現代日本では,おしゃれをして,男の人に可愛がってもらえる女だけが,社会でも認められるのだ」とずっと考えていたと思う。
 私は社会の中で,権利や主義を主張したいという気持ちが全く起きない。だが,私が主張する必要を感じない理由は,前の世代の女たちが頑張ってこの社会を作ったあとに成人したからなのかもしれない。


p.153 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


認めてもらいたい。社会に加えてもらいたい。疎外されたくない。でも,そのために,「男の人に可愛がってもらえ」なくてはならないとの認識を吐露させてしまう。なんて社会だ。いや,そんな社会か。

 仕事をする理由は「大人だから」だ。もう私は大人だから,不況で社会に元気がないとしても,受け身でグチをいえる立場にない。社会の構造に不備があるとしたら,今の社会をつくっている大人のひとりである私自身に責任があるのだ。戦争責任をA級戦犯だけに押しつけることができないのと同じように,現代社会のゆらぎを他人のせいにしないで,私たちが起こしたという自覚を持ちたい。国家というものは国民ひとりひとりが作っているものなのだ。


p.159 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


主人公が自立して喋り出す。この意識の変化につながるようなことが彼女に起きる。才能と幸運と努力に恵まれた結果だ。そうそう誰に起きるものじゃない。だから,物語でもあるのだが。こうしたラッキーがないと,こうした自覚を得られないのだとしたら,それはそれで悲しい。そうでなければ,強者にだけしか,自覚がやってこないことになりはしないか。

 学校で,クラスをまとめるために先生が生徒を「班分け」するように,社会では,国民を統括するために,国が「家族分け」しようとしているのではないだろうか。

「日本」には,戸籍という制度がある。国民の情報を,家族ごとに区分して,地方自治体が管理しているのだ。


p.161 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


自立した意識を獲得した主人公が,戸籍に疑問を持ち出す。いや,戸籍なんていうものにとらわれていることに疑問を呈する。だって,自由じゃないか?と。

 社会が温かいものだということを,みんな知らな過ぎる。
 自分を必要としてくれる場所で,自分の力を使うのは当たり前だ。
 人間は遺伝子の乗り物ではなく,文化の乗り物である。


p.169 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


 社会にくるまれて生きて行くことの実感を得た主人公。目標のひとかけらを握って,場所を手にしたのだ。彼女でもなく,妻でもなく,母でもなく。
 だからこそ,

 ひとりの愛より,みんなの小さな好意をかき集めて,生きていきたい。


p.171 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


と,思うのだし,

私には世界が見える。だけど,ひとりで生きるつもりもない。みんなと過ごすの。なだらかな線でみんなと繋がっていくの,と歌謡曲の調子で小説の地の文が流れる。
 まだ,誰も見つけていない,新しい性別になりたい。


p.173 「この世は二人組ではできあがらない」 山崎ナオコーラ


男と女ではなく,社会に生きる場所を見つけた主人公は,社会の中の自分という存在のままで,性にもとづく立ち位置ではないことの呼び名を求めた。
 主人公は,少年マンガ的な成功を手に入れた。そのことに溜飲を下げることができる成功予備軍はいい。だが,彼女に置いていかれた気分を味わうことになる,全ての敗者に向けた言葉が,きっと必要になる。
 強者でもなく,弱者でもなく,負け続けながらも明日に向かって生きる勇者のための言葉が。



この世は二人組ではできあがらない

この世は二人組ではできあがらない