案ずるよりも産むが易し,と簡単に言えないということ−「ポトスライムの舟」を読んだよ。


 契約社員の29歳の女性が,自分の年収と同じ世界一周旅行費用を貯める話し,と言えば思いだす方も多いことだろう。この津村記久子著「ポトスライムの舟」を読んだ。
 主人公・ナガセはとにかく,思い考える。

 たぶん自分は,先週,こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う。工場の給料日があった。弁当を食べながら,いつも通りの薄給の明細を見て,おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後,体が動かなくなった。働く自分自身にではなく,自分を契約社員として雇っている会社にでもなく,生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で,食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い,なんとか生きながらえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければ行けないということに。


p.12 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 「働く」とは何だろう。作業拘束の対価か。食うため,生活のための苦役か。手を動かし,体を動かし,頭を動かすことで,結果,到達する目標の達成感や克服感に喜びを見いだすことに,働くことの本質があるはずなのだが,過酷なパワハラモラルハザードを経て,正社員の立場を投げ捨てざるを得なくなって,いまの仕事に就いた主人公に,働きがいを説くのは酷な話しではある。

 生きることに薄給を稼いで,小銭で生命を維持している。そうでありながら,工場でのすべての時間を,世界一周という行為に換金することもできる。ナガセは首を傾げながら,自分の生活に一石を投じるものが,世界一周であるような気分になってきていた。いけない,と思う。しかし,何がいけないのかもうまく説明できない。たとえ最終的にクルージングに行かないとしても,これからの一年間で一六三万円そっくり貯めることは少しもいけないことではない,という言い訳を思いつく。
 今まで,古い家を改修する込めという名目で,漫然と貯金してきた。しかしその目的は,稼ぎの割には途方もないもので,具体的な想像をし辛かった。わたしは家のためだけに生きているわけではない,と思う。


p.24〜25 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 社会人になろうかという時,同級生のひとりが,「まずは100万円貯める。なにかあったときに必要だから」と言っていたのを思いだす。何か,とは?おそらく,それを直接使う時はない。クルマの頭金でも,不動産購入の自己資金でも,結婚資金でもない。気持ちの保険なのだ。だから,貯めることは,よい行いだ。そうではなく考えに考えて,さも具体的な目標を持ち出すことが危険なことだ。

 節約しよう,会社に申請している振込先の口座をいったん空にして,今までの預金は別の口座に移そう。ちょっと一年間だけ,ヨシカの店のバイトとパソコン教室の収入だけで生きてみよう。
 次々と計画が頭をもたげてくるのは気持ち良かった。ひさしぶりに,生きているという気分になった。


p.29 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 主人公は,自転車のトラブルが天啓となったのか,決心する。迷わなくなるわけだから,Alive感はあるだろう。しかし,背負ってしまった十字架は,節約の連続で彼女を蝕み始める。

 我慢できないことの方が傷つかないのだ,ということはうすうすわかる。あとは運だ。そんな不確かなものの上に,人間の結婚は成り立っているのか,と考えると寒気がする。それと比べれば,自分がお金を貯めて世界一周クルージングをしたいだなんていうのは,信号が青から赤に変わるように確実なことだ。
 人と比べて,お金はある程度忠実だ,と思いながら,パソコンの隣に置いたミニロトの用紙を見遣って深いため息をつく。


p.50〜51 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 たしかに,人を信じられることなんて儚いものだろう。だが,口座の残高数字は目に見えるものだが,それとて,空中に架空の一点を描き,それをつかんでみせるようなことじゃないか。

親という人はえらい,と思う。しじゅう子どもに指示を出している。自分が何をしたらいいのかもよくわからないナガセには,務まりそうもない立場だった。


p.62 「ポトスライムの舟」 津村記久子

思えば,こっちに来てから,りつ子は自分のためにお金を使うということがほとんどなかった。副や化粧品は,ナガセや母親のお古を使っていた。恵奈には,お金がないのよといなしながらも,新しいコートを買ってやったりしていたのに。自分が母親になった時に,そんなふうになれるかなあとナガセは考える。我慢しているという自覚もないのだと思う。


p.72 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 主人公は,思い煩い,いつも考えに考える。親という立場を務めるわけじゃない。子どもに親にしてもらうのであり,子どもと一緒に親になっていくのだ。だから,「親学」なんてものは,スキルを知ることはともかく,心構えなんてものはくだらない。だから,「そんなふうになれるかなあ」と煩う必要はないのだ。ただ,これだけ,巷に情報やゴシップ,悪口,雑言卑語が流通する中で躊躇してしまうのも仕方がない。

 また来るよ,と改札口で手を振りながら,ナガセはここに来るまでの電車賃について考えていた。けちくさいようだが,二週に一度ぐらいは来たいとなると,けっこう大きな額になるので,自転車で来ようかな,来れるかな,などと切符を見ながら,首を傾げ,そもそも自分にはそんな時間さえとれないかもしれないということに気付き,少し愕然とした。お金のために,お金を使わないために,無駄な時間をつくらないために働いているからなのだが,そのことが理由で自分は,少し離れた友達の家に行く余裕すら持てないでいる。世界一周の費用は順調に貯まっていたが,ナガセには何だか,そのことが微かに虚しく思えた。


p.79 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 目標のための我慢が,自分自身を削り浸蝕していく。目標を掲げた以上頑張ってしまうのも,この世代にありがちな特徴なのかもしれない。とにかく真面目だから。

忙しくしているのは自分自身じゃないのかという自問が首をもたげるが,忙しくしないと生きていけないのだ,とすぐに心のどこかが答える。家を改修しなければいけないし,毎日ご飯を食べなければいけない。暗い夜には電機をつけ,暑い夏には冷房を,寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。
 維持して,それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが,生活を維持して。


p.80 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 生活のための「働く」はずが,生活を無くしてでも,お金という自分自身の目標のために「働く」ことになってしまった現実。
 本来の仕事を通じた喜びは,どこに行ってしまったのか。派遣や契約社員だから,ということではないだろう。日本の多くの会社組織がおかしくなってしまっているのだろう。

 下り坂を,ペダルに足を乗せたまま降りながら,お金を貯めたことのお祝いに何かしよう,と思いつくと,とても気分がよくなって,雨に捕まる前に駅前へ戻れそうな気がした。これだけ自分の体が動くという感覚を思いだしたのは,おそらく数年ぶりのことだった。
 とりあえず,岡田さんにお茶とスコーンをおごって,恵奈にイチゴの苗を買ってやろうと思った。


p.107 「ポトスライムの舟」 津村記久子


 主人公は,体調不良となりながらも,目標額を達成する。それをもとにしたトライができたか,と言えば何も無い。結局,一部を家のために使ってしまう。だが,貯めたことにより,解放されて,人に奢ったり,プレゼントが買えるようになる。
 自分の日々や将来を思い煩うばかりで,前に進むことができないでいた主人公が,働くこと,暮らすことに対し,余裕を持つことで,人とのコミュニケーションを回復していく。そして,生きることの確からしさも回復する。
 自分に自信を持てないでいる多くの人たちに共感を得たであろうこの本は,いまの時代を代弁しているだろう。心もとなさ,危うさを誰もが内包している時代と言えばよいだろうか。
 それでも,下手の考え休むに似たり,で,いろんなことにトライしてみることの方がイイよとは,言いたくなるのだけどね。


ポトスライムの舟

ポトスライムの舟