求められる精神とカローラワゴン:柳井正「成功は一日で捨て去れ」を読んだよ。


 遅ればせながら,柳井さんの近著を読んだ。私は,柳井さんの著書のほとんどに目を通しているし,新聞や雑誌のコメントやコラムを見つければ,読むようにしているのだけれど,昨年10月に出て,ずいぶんと話題になっていたのだが,読む機会を得ないでいた。
 前著「一勝九敗」に比べると,熱さが増しているように思う。柳井さん自身の思い,とりわけ,もどかしさや「このままじゃいけない」という力強さを感じた。社員,とくに幹部に向けた現状否定は厳しく,気分を害するのではと思うほどだ。しかし,その根源は,ユニクロを成長させ,アパレルブランドのトップランナーになるという目標が,そうさせるのだ。
 内容は,ドラッカーについて言及が多いが,これは執筆時点でのNHKの番組出演もあったことも関わっているのだろうし,ドラッカーを通じて言っておきたい,「俺(だけ)がこう言ってるんじゃない,ドラッカーがこう言ってるんだ」ということでもあるだろう。
 うんうん,と頷いてページをめくることが大半だったが,一つ,意外な言及があった。

 唐突な話に聞こえるかもしれないが,ぼくは,今の日本の閉塞感,言ってみれば,ていたらくの一番の原因は,国民が総じて将来に対して希望を持てなくなっていることから発していることから発していると考えている。
 それは,社会全体が老齢化・成熟化してきたということと,非常に残念なことだけれども,精神的なものよりも物質的なものを重視し,偏重するという近年の傾向がそうさせているのではないだろうか。これは,日本人の品格の衰退だ。
 先進諸国のなかでは,日本人が特に,より物質的なものを求める傾向を持っている。日本人自身は,あいかわらず精神的なものに重きを置いていると思っているかもしれないが,今の若者たちとか,世間一般の人々の生活を見てみると,精神性を重視しなくなった気がしてならない。ここが一番の問題で,現在のようなほんとうに困窮し複雑な時代だからこそ,物質偏重ではなく精神性に重きを置くべきなのだ。つまり,精神性イコール希望に重きを置く,ということだ。そのような思考方法に変えていかないと,将来に希望を持ちながら生活するという具合にはならない。
 会社を経営するという立場で言うと,経営者が経営理念と会社の将来像を明確に指し示しリーダーシップを持って行動すれば,全社員がモラルや倫理観を持ちながら同じベクトルで仕事をするようになるのではないだろうか。先ほどの精神性重視と同じ類いの話である。


p.68〜69 「成功は一日で捨て去れ」柳井正


合理主義でならす経営者が,精神性を説く。最初は,目が止まったが,ドラッカー流に組織を動かすことを考えれば,動機や意志が根源に関わる話が多くなるのだから,当然だ。
 今週,職場のクルマが入れ替わり,新車のカローラ・フィールダー(ワゴン)に乗る機会があった。とてもよいクルマだった。パワーも内部空間も申し分無く,どこに出しても堂々としたクルマだと思う。できることなら,このままのカタチで輸出して欲しいとすら思う。そんないいクルマなのだが,記号としては,「カローラ」である。BMWの3シリーズがあまりの売れまくりに「六本木のカローラ」と揶揄されたのはバブルの頃だが,それほどに廉価大衆車の象徴だ。だが,そのカローラがいい。私は,他の選択肢があるなかで,あえてカローラを選ぶことはないと思うのだが,縁あってカローラさんを所有してしまうこともあるかもしれない。だって,いいクルマだから。
 カローラは,決してライフスタイルの延長にはない。ライフスタイルを象徴したりはしない。象徴性で言えば,ワゴンRの方が生活のシーンがイメージしやすい。しかし,消費の対称になってしまってさえいるライフスタイル商品を物質として手に入れることが,どれぼど,豊かなことなのか,カローラワゴンは,私にそう問いかける。しょせん,カローラワゴンである。しかし,申し分無い動力性能と,決して醜くはない外装の目立たないクルマであったとしても,あくまで道具として,記号性を抜きに「精神性に重きを置」いて,つきあえばイイのではないか。
 もちろん,シトロエンDS3やチンクェチェントを所有すると,その事自体でワクワクするような毎日だろう。だが,一方でそのクルマとの生活が「物質偏重」に陥ることの危険性が待っているのではないか。縁あってエモーショルのクルマとのおつき合いがあって然るべきだが,その分,より精神性が求められるように思う。
 精神的な豊かさに相まって,必要なものを「道具」としておつき合いする,ということではないだろうか。それは,カローラワゴンであっても,フェラーリであってもである。

 坊ちゃん嬢ちゃんたちは自助努力を嫌い,親に甘え,他人に甘え,いつも誰かが自分を助けてくれるだろうと考える。これは,「物質を賛美する」ということと相通じている。
 そういう世の中に日本がなってしまったのが間違いなのではないかと思う。精神的な充実感などよりも,物質的な「もの」を選ぶ方が上質と考える。そんな極めて表面的なカッコよさだけを求める,上辺だけの社会に日本がなってしまったのではないだろうか。非常に残念に思う。先ほどの,しつけ教育されていない甘い人間が増えていることと重なって見える。


p.71 「成功は一日で捨て去れ」柳井正


 精神的な充実のためのモノ。それは当然にして,自分の内側から来るのであって,世間の記号ではない。モノとのつきあいを考えさせられる機会となった。