JC留萌大会「北海道観光ワールド・カフェ」に参加してきた。


 いくつかのメーリングリストで案内したこともあり,具体的な中身も半ば不明ではあったが,参加してきた。以下,記録を兼ねつつ。
 「北海道観光ワールド・カフェ」。どこで区切るのが正しいのか,ひとしきり悩んでしまうようなタイトルなのだが,正解は,「北海道」+「観光」+「ワールド・カフェ」。一昨日あったこの催しに出席してきた私が解説すると,「北海道(に住んでいるわれわれが)」+「観光(をテーマに)」+「ワールド・カフェ(という手法で,互いの交歓と交流と広げましょう)」というもの。本当に全道各地から,集まっていることに驚いたし,もう一つ,旧北海道合板と案内された会場は,おそらく,元・工場だった建物を利用したもの。巨大なスクリーンが前方に2つ,後方に一つ配置され,立派な音響・映像ブースも陣取られ,すごいなぁ,と感心することしきり。アイディアと実行力,資金力もか。
 まずは,講演からスタート。NPO法人日本のうらほろ・理事長の近江正隆さんが講師。近江さんについては,(財)北海道市町村振興協会の市町村政策情報誌「プラクティス」*1などでも,紹介されている有名人。東京出身の彼が,漁師をめざし来道。船員となって以降,東京の消費者とつながるための工夫をこらし,困難や成功をおさめるものの,舟をおり,地域をあげての活動を広げてきた,という話を聞いた。
 私は,彼が真っ当な人だな,と感じた点がある。彼は,かつて,漁師直送店のネットショップを開設した。これまでの流通経路とは異なり,消費者に直接販売することで利益を伸ばした。いま,農業も生産現場はどこも苦しい。では,みんなが高付加価値商品をねらって,それを専門に生産し続けるとどうなるのか?原料作物を安価に生産しなくなったら,どうなるのか?食料自給率が問題にされるなか,このことを都市部の連中には考えてもらいたい。そのための情報発信を「十勝おやじの背中を超える会」は,やっているのだ,という。まさに,合成の誤謬だ。それぞれがよかれと思って,それぞれの最大益を目指してしまうことで,全体が損失をこうむることになる。彼は,このことに気付き,そして,壇上から語る。このことを無視して,効率化で,情報化で,ワッハッハーなどと調子のいいことを言わない。そのことに彼の誠実さを感じる。
 加えて,言っておくと,食料自給率の話しを聞いていると,どうにも欺瞞だな,と,いつも私は思う。トラクターは,何を燃やして動いているんだい?ビニールハウスの燃料には,何が使われているんだい?照明の電気のもとは,何なんだい?市場まで運ぶ軽トラは,いったい,どこから運ばれてくるんだい?と。すべては,輸入品じゃないか。仮に食料自給率が100%になりました,と言えるようになったとしよう。その瞬間,原油の輸入が一切滞り,プルトニウムも禁輸となりました,なんてことになって,僕らはどのくらいの人口を,この日本列島で養うことが可能なんだい?エネルギーを自給できていて,初めて,食料自給の話しができるんじゃないのか。カーボン・フット・プリントもいいが,灯油も,ガソリンも,都市ガスも,何マイルになるんだ。まぜっかえしじゃない,フラットに,正直に話しをしたほうがイイ。機械化を無視した農業が成り立つはずもなく,それは,エネルギーとセットになった農業であり,食料生産だということだ。
 近江さんは,修学旅行生に,農業体験,農産加工体験をさせていると言う。確かに,都市と農村が交流を通じて,実感を広めている取組みだろう。では,この逆は,しなくてよいのか?田舎の子たちに,大工業地帯の工場体験。要人が泊まるホテルでのサービス体験。放送局や新聞社での情報発信体験。日本の最先端を担う劇場やホールでの文化体験。それぞれが,日本の生産,サービスを支えていることを知ってもらうために,必要なのではないか。食料生産の現場は,当然にして大事だ。だが,「人はパンのみにて生くる者に非ず」でも,あるのだ。いま,ないがしろにされているのは,食料・農業の現場だけだろうか?あらゆる働く現場を知って体験しておいてもらう必要があるんじゃないか。
 また,近江さんのような地方発の実践事例では,東京の雑誌に取り上げられる,東京の書道家,デザイナー,シェフを使う,つながる−こうしたことが話題になって出てくる。「地域に自信と誇り」と言うけれど,つまるところ,外の評価:褒められたい,スゴいよねって言われたい。このことに,どれほど意味があるのだろう?京都人は,パリジャンは,ニューヨーカーは,外の評価を求めるのか?わからない。他所様のネームバリューを借りての評価は,自信につながるんだろうか?でも,内なる自信も誇りも,ただの自己満足に過ぎんのやないか。どうなのだろう。


 近江さんの講演が終わっての「ナニガイッタイ,ハジマルンダロー?」と思っているうちに,司会者2名登場。「ワールド・カフェ」について,説明開始。模造紙に,それぞれがメモを書き込んでいくのは,コミュニケーションとして,よくある手法だが,これが,他のワークショップと違うのは,1テーマを20〜30分ごとに話しあった後,テーブルホスト役を残し,それぞれが別テーブルに移動。また,新たなテーブルで自己紹介から始めて,話し合いを行っていくというもの。このとき,次のテーブルホストは,それまでのテーブルホスト以外の者から選出し移動していく。見ず知らずの大勢が,いっぺんにコミュニケーションを図る際,そのテーブルでの「序列」が終了までつきまとってしまうと,閉口してしまうこともある。沈黙があってもヨイ,との前提で進めるこの疑似「カフェ」は,案外,面白く,いい経験となった。
 また,この手法での発見は,3回の移動でわかったのだが,それぞれのテーブル上の模造紙の表現は,どれも似通ったものが現れてくるということだ。「群衆の叡智」の一部をかいま見たようにも感じられ,新鮮な発見でもあった。


 この「北海道観光ワールド・カフェ」なる取組みの結果は,いかなるものとなったか?それは,参加者が自分自身のアクションを再確認する場となった,として締めくくりたい。参加者個々には,それぞれの思いがあるため,一つにまとめきれないためでもある。私は,出不精を排すことと,対話,対話,対話とメッセージ・カードに記し,会場をあとにした。