長いビジネスマンの時代が終わろうとしている。


 気がついてる人は,もう降りているし,そもそも乗らなかった人は何食わぬ顔で,そんなもんだ,と思っていることだろう。何に?ビジネスマン礼賛に,だ。ビジネスとは,同じプロトコルを介した契約の量とスピードをどれだけ極大化できるかを競う争いだ。当然,1回の取引量を多くできたり,一定時間内の取引件数を増やすことができる者が勝者となる。または,プロトコルを根底から変えてしまうルール変更も,勝利を呼び込む方法だ。
 こうやって市場という場において,勝った,負けたを繰り返すのがビジネスの現場だ。

一方で、新自由主義的というか、資源を強者に集中して、効率を高めようという主張がありますね。ビジネスマンはもとより、政治家にも効率主義みたいな考え方をする人が多いと思います。この人たちはどっちかっていうと、弱肉強食の論理の人だから、金のことしか言っていないんですね。金のことしか言っていないというのは、ようするに金のようなもので計量できるものにしか価値を置いていないということです。それをいかに効率的に、より多く持つことが幸せなんだという論理ですよね。


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 そう「金のようなもので計量できるものにしか価値を置いていない」のだ。金額だったり,時間だったり,重量だったり,人数だったり。これらの「計量できるもの」をいかに最小限の労力で手に入れたかが,優秀なビジネスマンの評価指標となる。

いわゆる都市圏構想というんですか。大阪都中京都、東京都、どこかにリソースを集中させようという考え方。そしたら二重行政がなくなって効率的に動くよという。確かにその通りなんだけど、今問題になっていることは東京に人が集まりすぎていることでしょう?分散させたいんでしょう?だったら逆じゃない。もっと細かく割って、それぞれが特色を持ってそこにUターンしていくという形を作らないといけないはずなのに、効率だけを考えて、真ん中に集めて、つまり一番強い、一番生産量が多いところにリソースを集中させる。
これはビジネスの論理なんだよ。だからビジネスマンが政治に入ってくると、必ずビジネスの論理をそこに適用するから、効率化、マネジメントということを言っちゃうわけですよ。これは社会の設計にとっては最悪なんです。政治とビジネスは全く別です。ビジネスの価値観を僕は否定しないです。僕はビジネスマンだから。でもビジネスの論理が通じる世界というのは人間の活動の中でおそらく10%とか、20%ぐらいの領域です。会社っていうのは、どこまでいっても利益を追求する場所であるわけで、その意味では弱肉強食です。ここに変なヒューマニズムをいれたら、ビジネスはできないし、公平性を保てない子どもの論理になってしまう。博打の世界。それはいい。博打でやれよと。でもそれをほかの残りの80%に適用するな、と。「分けろ」ということなんです。


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 「ビジネス感覚」が社会のあらゆることに関して常に問われ,この感覚の如何がその人間の評価そのものであるということが,ずいぶんと続いたし,現状においても,この物差しがデフォルトになっていることだろう。
 だが,「ビジネスの論理が通じる世界というのは人間の活動の中でおそらく10%とか、20%ぐらいの領域」でしか無いのだとしたら,ビジネスマンとは社会の中でなんと空気の読めない,痛い人たちなのか。「ほら,ちょっと,ビジネスマンよ。ひそひそひそ…。こんな場面にもビジネスを押し付けてくるのよ,もう,バカじゃない。バカって言っちゃダメよ,バカなんだから…。ひそひそひそ」である。

教育と医療と介護、宗教に関しては、いわゆる等価交換の論理をいれるなと。もともと等価交換ではないものなんです。


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 そうなのだ。取引とは,互いが価値に納得し,交換することで成立する。ところが,取引の通じない世界の方が多いとは,ビジネスマン,がっくし…である。
 交換価値が最大値なるポイントを目指すが故に,競争があり,その結果の勝負となる。勝負である以上,リングに上がる前には手の内を明かしちゃいけない。もし,明かしてしまえば,身内に対するルール違反だ。
 いま,世界で起きているのは,ウィキリークスしかり,フリーミアムしかり,あらかじめキレイさっぱり種明かしをしながら挑む者が出てきているのだ。ルール変更どころじゃない。そもそも「勝負」か,どうかすらあやしい。
 農家はとれた農作物を出荷することで生計を立てる。だが,つくりすぎたもの,時期外れのもの,大きさが合わなかったり,一部,虫が食ってたりするものをお裾分けする。農業はビジネスだが,農のある暮らしは競争や勝負とは別な次元だ。
 ビジネスだけが世界を語る唯一の言語であると勘違いをしていた時代が,いよいよ終わりを迎えようとしている。いま,私は,そう思う。