道産子は,やはり粗野なのだと思うのですよ。


 一般に,北海道人のイメージとしては「自由でおおらかな,細かいことは気にせず,ヒトにやさしい」こんなところではないだろうか。私も概ね,そうだと思う。「概ね」としたのは,やはり,全面的に賛成というよりも若干の留保がある。こうした表出した部分はそうだとして,人間の気質の根っこの部分の言い足りてないと思うのだ。
 何か?と問われれば,品性もしくは文化だ。あえて言ってしまえば,がさつで乱暴なのだ。もちろん,品性に富んだ方,文化的教養に満ちあふれた方は北海道にも大勢いらっしゃる。だが,マジョリティーとしては,いかんせん,粗野なのだ。

北海道ではたくさんの道産子(北海道民)のご家族と知り合う機会がありましたが、私が驚いたのはとある札幌の友人の家庭にお邪魔したとき、友人は何かの都合があり外出したため、私とそのご家庭のお母さんと二人きりになることがあったのですが、そのお母さんは私の目の前で朝からタバコを吸ってくつろいでいたことです。私が衝撃的に感じたのは、これまで女性が客の前でしかも朝から喫煙するということが九州にいた頃には全く考えられなかったからです。そのお母さんは決して喫煙を無理して行うようなタイプでもなく、ごくごく自然な日常行為としてされていたのですが、それだけに私が受けたインパクトはカルチャーショックに近いものでした。

 それは今考えれば、人前で無理に体裁を繕わない道民の雰囲気を表しているのかもしれません。九州ではおそらく客には客のあるべき姿があり、もてなす側も始終客をもてなすために普段の姿を見せる隙もないという理由があるかもしれません。


男尊女卑か - More Hope is on the Way

ここで例示されている「お母さん」が道民全ての典型だとは思わない。だが,道民なら誰しも,身近な一人二人を思い浮かべるだろう。では,なぜ,「人前で無理に体裁を繕わない道民」なのだろう。何から,我々道民はフリーなのだろう。
 大自然に自分をむき出しに立ち向かうように,自分を丸ごと,むき出しに他人様と,いや他人様の目を気にせず,自分の欲求を表してしまう。本来あるべきプロトコルが省かれ,ノイズやシンタックスエラーが付いたまま発信してしまう,そうした乱暴さが,北海道民なのだ,と思う。
 因習やしがらみ,ある種の規範からフリーであったとして,それが居心地のいい社会か,どうかとは別の話しだ。約束も決めも無い商行為が危険なことと同じことだ。
 我々の先祖が逃れるようにしてたどり着いた北海道で得たフリーが,フリーであるが故に意思疎通や互いを思うことを奪い,大きな力を生み出し損ねているのではないか。そんなことを思うのだ。