日本人は,いや,日本は,外国人に褒めてもらうととても喜ぶ。それも,知日派の外国人に。説明不要で日本語を話す外国人に,自分たちを認めてもらうことに,とても喜ぶ。
ドナルド・キーン先生の来歴は,wikipediaを見ればいいし,司馬遼太郎のエッセイに,これでもか,と出てくる。知りたい人はそちらをご覧いただきたい。
今朝の朝刊に,新潮社の広告が載っていた。この広告用に,寄稿したドナルド・キーン先生の原稿が主になっている。
かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき,多くの日本人がこう言いました。「日本文学が賞賛してもらえるのは嬉しいが,川端作品は,あまりに日本的なのではないか」。
日本的過ぎて,西洋人には「本当はわからないのではないか」という意味です。分からないけれど,「お情け」で,日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。
長年,そう,もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて,私がいまだに感じるのは,この日本人の,「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。
昨年,地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て,私は,「ああ,あの『おくのほそ道』の東北は,どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が,それに追い打ちをかけています。
しかし,こうした災難からも,日本人はきっと立ち直っていくはずだと,私はやがて考えるようになりました。それは,「日本的な勁さ」というものを,心にしみて知っているからです。(略)
勁健なるみなさん,物事を再開する勇気をもち,自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず,勁く歩を運び続けようではありませんか。
日本人よ,勇気をもちましょう ドナルド・キーン
新潮社 2012年賀正
昨年,日本のことが好き過ぎて日本人に帰化しちゃったキーン先生。その様子はテレビ番組にもなり,先日,放映された。
キーン先生に後押しされるお正月。このことは多くの日本人にとって慶賀この上無しだろう。