「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んだよ。


 いくぶん,手こずって通読した。塩野七生の,読者を(あえて)ノセない筆致にページが進まなかったのだ。それでも途中から慣れて,ラストの数十ページはスパートがかかった。転落していく主人公が気にかかって急いてページをめくった。
 快進撃と休みない謀略の日々にほぼ同時代人の織田信長を想起させたのだが,信長があまりにも劇的な最期となったため,かえって舞台の上での「お話」のようになってしまうのに対し,権威の源である法王である父を亡くし,自身も病身になってからの哀れな結末に現実感を感じさせる。このことを小市民的に嘲笑するのも結構。だが,ここから読み解くべきは何か、を考えるのも大事だろう。
 この文庫版の解説を沢木耕太郎が書いている。

 マキャヴェッリが『君主論』で主張していることのひとつに,支配者は残酷を恐れてはならぬということがある。中途半端な寛容さや憐れみぶかさがどれほどの悲惨を生み出すことか,というのだ。
《たとえば,チェーザレ・ボルジアは,残酷な人物と見られていた。しかし,この残酷さがロマーニャの秩序を回復し,この地方を統一し,平和と忠誠を守らせる結果となったのである。とすると,よく考えれば,フィレンツェ市民が冷酷非道の悪名を避けようとして,ついにピストイアの崩壊に腕をこまねいていたのにくらべれば,ボルジアのほうがずっとあわれみぶかかったことが知れる》
 この逆説の中に,マキャヴェッリの政治観,人間観の中核がある。塩野七生の政治観,人間観は,それとまったくイコールではないが,少なくともその逆説を許容する性質のものであることは確かなようだ。


p.330 「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷


くだらぬ汚名の恐れ,やるべきことを怠る決断力の欠如によって失うことが,実はあまりにも大きいということ。そのことへの指摘がある。

 チェーザレ・ボルジアとは,なによりもまず行動の人であった。塩野七生が好んで引用するマキャヴェッリの言葉によれば《めったにしゃべらない,しかし常に行動している男》ということになる。


p.332 「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷


主人公をとおして著者が主張するのは,「男」たるもののとるべき言動である。こうしたチェーザレだからこそ,目指す先があった。

 イタリア。この言葉は,何世紀もの間,詩人の辞書には存在しなかった。マキアヴェッリの知合ったどの人物も,その地位の上下を問わず,誰一人,この言葉を口にしたものはいなかった。当時のイタリアには,フィレンツェ人,ヴェネツィア人,ミラノ人,ナポリ人はいても,イタリア人はいなかったのである。


 しかし,イタリアの統一は,チェーザレにとっては使命感から来る悲願ではない。あくまでも彼にとっては,野望である。チェーザレは使命感などという,弱者にとっての武器,というより寄りどころを必要としない男であった。マキアヴェッリの理想は,チェーザレのこの野望と一致したのである。人々のやたらと口にする使命感を,人間の本性に向けられた鋭い現実的直視から信じなかったのでマキアヴェッリは,使命感よりもいっそう信頼できるものとして,人間の野望を信じたのである。


p.332 「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷


チェーザレの目指した野望の実現。その野望に忠実な行動の人として使命感なぞ排したということだ。
 では,後年の没落をどう見るとよいのか。ときに,不運はある。それ自体,避けようが無い運命として。だが,嘆き悲しだところで始まらないのだとすれば,「信じられない。こんなことがあっていいのか」などと憤慨することよりも,不運それ自体をよくよく見つめ,行動することだろう。
 野望を持ち,残酷を恐れず。



チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)