苦言を呈された国会事故調報告を,よく読みゃ「誰が」張本人かは書いてある。


 ネットで話題となっている「ニッポン論」的批判の記事。

 【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。

 ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。

 一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。


【原発事故】「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言 - MSN産経ニュース


 さて,責任を問わないとのことだが,たしかに,

 本事故の根源的原因は「人災」であるが、この「人災」を特定個人の過ちとして処 理してしまう限り、問題の本質の解決策とはならず、失った国民の信頼回復は実現で きない。これらの背後にあるのは、自らの行動を正当化し、責任回避を最優先に記録 を残さない不透明な組織、制度、さらにはそれらを許容する法的な枠組みであった。 また関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であ り、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組 織依存のマインドセット(思いこみ、常識)であった。


p.17 【問題解決に向けて】 「国会事故調 東京電力福島原子力発電所 事故調査委員会 報告書」


と,「特定個人の過ちとして処理してしまう限り、問題の本質の解決策とはなら」ないとして,組織,制度,法的枠組みが背景なのだ,といっている。
 それに,上記の記事でいわれる「報告書の前文」だが,

 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済 成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目 標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。 そこには、ほぼ 50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といっ た官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインド セット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。
(略)
 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、 どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無 駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、 社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼 を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私た ち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。

p.5〜6 はじめに 「国会事故調 東京電力福島原子力発電所 事故調査委員会 報告書」


もはや,テレビの歴史番組か歴史物のエッセイの雰囲気。まあ,責任追及が甘いと言われれば,そうかも知れないし,「世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送り」の意思決定をしたのは誰なんだよ,と言いたくはなるよね。
 だが,丹念に読むと,

 東電は、現場の技術者の意向よりも官邸の意向を優先したり、退避に関する相談に 際しても、官邸の意向を探るかのような曖昧な態度に終始したりした。その意味で、 東電は、官邸の過剰介入や全面撤退との誤解を責めることが許される立場にはなく、 むしろそうした混乱を招いた張本人であった。


p.18 【事業者】 「国会事故調 東京電力福島原子力発電所 事故調査委員会 報告書」


と張本人を特定し,とりわけ,この報告書で指摘される固有名詞が東電・清水社長(当時)だけであることはみると十分,「誰が」という問いには答えているといえるのではなかろうか。
 ただ,国会事故調としては,「提言型かつ、未来志向の調査」であろうとして如何に繰り返さないか,という点において,組織,制度,法的枠組みを変えるために,ずいぶんと頑張ったであろうことも伝わってくる。以下の内容は,ジャーナリストが書いているんじゃなくて国会事故調がまとめたものなのだから。

 このように、今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわら ず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは 自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま 3.11 を迎えたことで発生したものであった。
 当委員会の調査によれば、東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴 訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、 安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して 規制当局に働きかけていた。
 このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応 をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と 認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安 院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積 極的に制度化していくことに否定的であった。
 事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた。


p.11〜12 【事故の根源的原因】 「国会事故調 東京電力福島原子力発電所 事故調査委員会 報告書」