こんな祖先を持つ人がいたんだ,と思わせた。
俳優・近藤正臣(72)の心には、曽祖父の「最期」が刻まれている。
近藤正慎(しょうしん)。京都は東山、清水寺に仕えた寺侍。明治の世をさかのぼる10年前の1858(安政5)年、江戸幕府が吉田松陰ら尊皇攘夷(じょうい)の志士たちを弾圧した「安政の大獄」で捕らえられ、自害した。43歳。
まるで幕末史の1シーンそのものような犠牲者を祖先に持っているのだ。
正臣は幼いころ、母親や本家の親戚からよく言い聞かされた。
「あんたのひいじいちゃんは、勤皇の志士や。大義のために舌かみ切って死んだんや」
えっ?「舌かみ切る」って,どういうこと?
正慎が、行方を聞きだそうとする幕吏に過酷な拷問を受けていた。だが、自白を拒み、投獄の20日余りのち、舌をかみ切る。
正臣は役者人生の中で時折、曽祖父の死が脳裏をよぎるという。
拷問を受けて、もはや体はいうこときかん。意思に反してうわごとで口走ってしまうんやないか。だから死んで秘密を守るんや――。悲壮な胸の内を、正臣は思い描く。
重い。限界を超える状況下で,まさに命をかけて秘密を守った祖先が自分にいて,そのことを言い聞かせられながら,育ったのだ。
緑が濃い清水寺境内の、「清水の舞台」を仰ぎ見る参道沿いに、正慎の死に様が伝わる茶屋がある。
その名も「舌切(したきり)茶屋」。正慎の死後、清水寺は遺族の生計を案じ、妻のきぬに境内で営むことを許した。近藤家本家5代目の子孫が今も、参拝客でにぎわう店を切り盛りする。
哀悼とアイロニカルが交差する「舌切茶屋」の店名。近藤家のたどった時間を思いながら,訪ねてみたい。