新聞週間とネットで思ったこと


 あの池上彰さんと、朝日新聞の長典俊・ゼネラルエディター(GE)の新聞週間を記念しての対談を読んだ。
 朝日新聞誤報騒ぎの後,真面目に取り組みを続けている。

 長 一連の問題の反省から三つの基本方針を立てました。一つ目は事実と論評を分ける。二つ目はこれまで以上に読者や社会に耳を傾ける。三つ目は訂正欄を設け、過ちは素直に認めて読者に説明する。この1年の朝日新聞はどう映っていましたか。

 池上 よく言えば試行錯誤、悪く言えば悪戦苦闘しておられる。いろんな改革を打ち出し、おそるおそるやっているなと。目立つのは訂正欄。失礼ですけど、とっても面白い。なぜ、何をどう間違えたのか書いてある。とっても人間的で親近感があります。

 長 ただ、資料の読み間違えや思い込みとか、中身がプロとして非常に恥ずかしく、逆に信用を傷つけているのではという悩みもあります。

 池上 私はむしろ好意的に見ています。きちんと訂正する新聞が増えてきました。あと変化がわかるのは投書欄ですね。安保関連法の賛成意見が載るようになった。朝日新聞って、安倍政権に批判的で、安保関連法に反対の人たちが読むイメージを世間の人は持っていますが、いろんな人が読んでいる新聞がいいと思うんですよ。オピニオン面の佐伯啓思・京大名誉教授のコラムのように、耳を傾けるべき保守の見解もあって勉強になります。

 長 ウィングを広げて、きちんと見解、意見を紹介していくべきだと考えています。

 池上 安保関連法では賛成意見しか載せない新聞もあります。言論が極端な形になっている時に、いろんな意見を聴けるのは貴重なことだと思うんですね。

 長 朝日新聞の紙面モニターの方との対話集会で心に響いた言葉がありました。「朝日らしさを失ってほしくない。ただ、私たちは一つの新聞しか取っていないので、もっと多様な見方を紹介してほしい」と。論調や全体のトーンは朝日らしく、事実に基づく見方を示しながら、異論、反論も載せることを心がけています。バランスは難しいですけど。ただ、「萎縮しているのか」「政権にこびているのか」という声が寄せられることもあります。

 池上 こびているとは思わないですけど、現場の記者の戸惑いはあるような気がします。これまで通り、「切り込む」という記者の原則に立ち返ればいいだけですよ。


http://www.asahi.com/articles/DA3S12015844.html

「私たちは一つの新聞しか取っていないので、もっと多様な見方を紹介してほしい」。そうなのだよね。複数紙とらないよね。専門紙と一般紙の組み合わせはあるんだけど,一般紙どうしを比較して,その上で自分の意見や考えを持とうとする人なんてね。社会の大勢にただ,流されないように,自分自身の足場を保とうと複数紙を購読するなんてね…。
 ただね,新聞社内にだって,いや,社内の方が一般より,よほど多様だと思うよ。


 長 メディアは多様化しています。

 池上 ネット上のメディアが専門店として特化していく時に、日本と世界がどうなっているのか、一覧性で知ることができるのはやはり新聞だと思います。テレビはニュースの時間まで待たないといけない。新聞の特性は忘れちゃいけない。ニューヨーク・タイムズは「印刷に値するニュースはすべて掲載する」と毎号、1面の左上に書いています。「書くべきことは全部書いている」という自負と歴史に対する責任を持ってほしい。その矜恃(きょうじ)が大事だと思いますね。


http://www.asahi.com/articles/DA3S12015844.html


印刷と宅配が支払い対象なのか,違うだろう。情報の価値じゃないのか。一覧性というけど,レイアウトを含めたエディトリアル・デザインだろう。
むしろ,Googleのキャッシュに頼るだけの有料会員限定の検索をどうにか,することじゃないか。わずか1,2年で過去記事が検索されなくなる現状は,ネット社会が見えてない,と言われても仕方がない。ネットの本質とは検索だからだ。
情報の収集,編集機構である報道機関が,ネット社会においてどう振る舞うか,まだまだ議論が足りない。


まあ,こんなことを思った次第。