読書感想文「志ん生一家、おしまいの噺」美濃部 美津子 (著)

 またもや,志ん生である。でもしょうがない。大河ドラマ志ん生だからね。でも,この本,美濃部美津子一代記なのだ。志ん生長女の生い立ちと彼女の眼に映る志ん生一家の悲喜こもごもである。やはり,家族の眼から贔屓目に見ても志ん生はめちゃくちゃである。でも,どうしようもない。このどうしょうもなさも含めて許容する度量が当時の世間にはあったのだ,という証明ではなかろうか。

 今なんかだと,よく聞きますよね。母親が子どもに父親の悪口を言うから,子どもはお父さんを馬鹿にするようになるとかって。それは不幸なことだと思うんですよ。家族の絆や温かみが失われていくようでしょ?そう考えると,たとえ貧しくても,あたしたちは幸せでした。頼りないけどお父さんがいて,お母さんがいて,毎日ちゃんとご飯を食べさせてもらった。そんで,家族みんな仲がよかったんですから。

p.29 「志ん生一家,おしまいの噺」

こんなことを娘に言われた父親は幸せだ。でも,それは父・志ん生が直接つくったものではない。志ん生の妻・りんが慈しみを持って育んだものだ。
 この本で明かされる興味深いエピソードがある。昭和11年2月26日,志ん生一家がラジオ出演などで「食べるものに困らなくな」り,「なめくじ長屋」(それにしてもひどいあだ名だね)から引っ越せるようになったとき,事前に頼んでおいた小型トラックが昼過ぎても来ず,やっと来たのが,夕方。なぜか,あの2・26事件その日に通行止めがあったからだ。
 志ん生が出世して引っ越しする日,兵隊の一人として若き柳家小さんが歩いていた。そんな因果も見えてくる。
 この本の最大の価値は,巻末の立川談志と美濃部美津子の対談である。談志本人が言うとおり,志ん生賛美である。この対談を読まずして,談志の落語をわかったと言っていけない。志ん生を語るとき談志は裃を脱いで,こんなにも素直に語るものか,と感嘆するはずだ。


志ん生一家、おしまいの噺 (河出文庫)

志ん生一家、おしまいの噺 (河出文庫)