読書感想文「京都まみれ」井上 章一 (著)

 「京都ぎらい」パート2,である。煎じ詰めれば,首「都」で無くなった京都の妬み,そねみである。江戸が実権を持ち,商都・大坂が栄える中,京には「天皇がいる」。このことをアイデンティティにしていたのに…。
 では,京都とは?を突き詰めてしまうと洛中洛外問題が発生する。洛中こそが京都である-すなわち,洛中原理主義である。では,洛中とは?洛中の境界線は?
 井上が相手にする京都問題とは,県都,県庁所在地として栄えた地方都市問題なのだ。かつて賑わい繁栄した地方都市が,その輝きを失い「この町らしさとは?」を自問するのは,日本中で見られる光景であり,神社仏閣,歴史ある町並み,年中行事,さまざまあれど,満たされない京都人の感情。こうした渦巻く思いは,日本中の田舎に見られるやるせなさの正体だ。
 なぜ,自分が暮らす町に自分自身のアイデンティティを投影してしまうのだろう。なぜ,●●出身であることや,現在の自分自身の生業や活動を分離できずにとらわれたままなのだろう。個人の人格形成や宗教意識にも関わってくるだろうから,別な著者に期待しようか。
 ちなみに,茶道表千家の家元は同志社大学卒であり,茶道裏千家の家元の長男は跡を継がず,次男が若宗匠となっている。このことを頭に入れておくと読後,味わい深いと思う。


京都まみれ (朝日新書)

京都まみれ (朝日新書)