読書感想文「小説土光臨調―中曽根政権への道」 牧 太郎 (著)

 歴史を学ぶべきである。
 1980年代,「メザシの土光さん」はスターであった。スターは,スターと呼ばれ期待される振る舞いをするからスターなのであって,庶民はそもそもスターがなぜ,スターと呼ばれるようになったかは知らない。
 土光は,つねづね政治に金がかかりすぎるともらす。とは言うものの,当然のように金を無心に来る政治家はいやだが,保守党は育てなければならないとの判断基準を持つ。なので,目指すは,財界復権であり,「政低財高」である。
 行政改革がモットーになったのは,いつか。大勲位中曽根康弘が鈴木内閣で行管庁長官になり,中曽根が言う臨調が政治的アピールにつながると鈴木首相が判断したことによる。財界トップのミスター合理化・土光敏夫への会長就任要請にあたり,土光は臨調メンバーの財界比率アップに加え,4条件「①増税なき財政再建,②答申を必ず実施,③国・地方通じての行革,④三公社の民営化」を出した。
 清貧と明治人の気骨という土光のキャラクターと,テレビ受けする「敵・味方」の演出は効いた。国民は行革ムードに乗った。それは,後の政権交代だったり,小泉純一郎フィーバーだったりでお馴染みの光景ではある。
 こぞって土光を持ち上げたが,このときの「成功体験」がその後の日本を呪縛している。鈴木内閣の後半に「行革のデフレ効果が,景気の低迷を助長することは,当初からわかっていたが,それにしても,不況は底知らずで,失業率さえここ数年で最高の2.48%に達している」との認識は当時からあったにも関わらずだ。
 土光とはコストカットによる再建屋である。中央銀行を中心とする金融による信用創造機能や財政支出による成長率寄与まで,理解が及ばない。なので,(法人)増税なき「財政再建」となってしまうし,「赤字国債依存体質からの脱却」がスローガンになる。行革か景気対策かの選択ではない。行革なんてものは不景気なときにやるものじゃないんだ。
 わが国の蹉跌が,スター礼賛にあったと確認できる一冊である。単なる政治小説として読むのはもったいない。