読書感想文「会長への道」鈴々舎 馬風 (著)

 時代の空気が触れるようにわかる資料である。当代切っての名人上手を追ってばかりいては噺家の世界の様子が窺い知れない。噺家として上手い,人気者というのとは別に,実力者というのがいる。その世界で上の人たちに可愛がられた人たちだ。上の人たちをしくじらなかった人であり,しくじってもリカバリーできた人だ。言わば世間上手な人だ。そうした中の人としてインナーのメンバーシップを持ち続けた人だからこそ,落語そのものではなく,噺家の世界の人の動きや動向を客観視する資料になる。天才や才人の残すものが全てじゃない。
 「あたしが噺から漫談中心に変わってった」のは,大汗かきだったからだと言う。大声で筋のある噺を長くやるとグショグショになる。確かに筋と関係ない場面で扇子を使うわけにもいかないだろうが,果たしてそうか。噺と漫談を明確に分けて捉えていたこと。そして,ウケるネタは大事で「四人癖」,「義眼」,「目薬」,「感情癖」のウケる噺を寄席で土日などの勝負のときにかけた。あの圓生師も土日は「四宿の宿」,「鼻ほしい」,「相撲風景」をかけたという。
 「芸本意」の人だって,ウケなきゃダメだ。席亭の心証も悪くなるし座敷や余興にも声がかからなくなる。どう生き残るか,である。職人技としてのスキルや経験値のアップを図る道もあるだろう。だが,その道一筋の生き方をできない者や才能やアイディアを持ち合わせない者にとっては,それではダメなのだ。やがて会長になった男・馬風はそう言っているように思う。