読書感想文「談志の日記1953 17歳の青春」立川 談志 (著)

 さて,どう読むか。没後10年,立川談志の原点を辿り,1953(昭和28)年の社会風俗を知る資料として読むか。当時,まだ前座修行中の何者でもないような一人の若者の悶え,鬱屈,躊躇い,嘆きの生々しさ,熱さを描写した文学として読むか。
 確かに,前座・柳家小よしクンの悪態・悪口・愚痴のパレードで,あ〜ぁ,文句ばっかりかよ,と言いたくなるのだが,日記の効用を考えさせられるのだ。1年間,途切れること無く書かれた(正確には,大晦日は無し)日記が本人にどう影響しただろうかと。余程のことが無ければ,過去の日記を捲ることは無い。その日の天気,演目,世事・関心を毎日,書きつける。体調不良の日も,しくじった日も,女の子が気になって仕方がない日も,どんなに気が進まなくたって記録すること。後になって,何かに役に立つことをねらって書くものじゃない。今,本日ただいまの自分を文字にする行為を自分に課すことの意味である。
 脳に溜まるアレコレを掃き出すためなのかもしれないし,等身大の自分自身と向き合う行為なのかもしれない。日記を書けば名人・立川談志になれるわけではないが,少なくとも立川談志は日記を書いた,ということである。
 ツイッターやブログなんてやらずに,非公開の日記こそ意味を持つのかもしれない。