いま,子どもが難しい。
いや,子どもは子どもなので放っておいたって子どもなのだが,子どもの親でいること,子どものいる家庭,子どものいる社会を築いていくのが難しいのだ。まして,学校はその存在からしてずっと難しいままだ。
なぜか。子どもと向き合っていないからだ。ただただ単純に,子どもが発する言葉に耳を傾ければイイだけなのに,それができない。親が会社員であることに,経営者であることに,ビジネスパーソンであることに現を抜かして,そこで「評価」されることに汲々としてしまい,数字や状態,結果としての子どもにしか興味がない。まして,世間の大人たちも教師もよその子どもどころか,自分たちに関わる子どもにどれほど興味を向けているかはかなり怪しい。人間として,個としての人格を子どもに認めているのか,世の親,家族,社会,そして学校が問われている。
自由学園・高橋学園長が言う「子どもは人材ではない,人間である」。社会や国家のために人材があるんじゃない。一人一人の人間によって社会や国家があるんだ。