読書感想文「たとえば、葡萄」大島 真寿美 (著)

 ライフ・ウィズ・コロナウィルス・ワールドである。
 日々の繰り返しの中で,人はうだうだしたり,グズグズしたりしながら,毎日が過ぎていく。自分で選んだにせよ,感染症の流行のせいにしろ,ある日,状況の変化がやってきて,別な状況が始まってしまう。とはいうものの,そのリスタートは従来の延長上ではいけないとなると,うだうだしたり,グズグズしたりするモラトリアムの時間となる。
 人生の光とは何か。ミッションをみつけ,そこに打ち込むことに喜びを見出すことだ。スティーブ・ジョブズの有名な「点と線」の話しのように,あれやこれやが急に繋がりだすタイミングがある。世の中とは,世知辛いものだと思っても,また,その時点ではものごとが前に進まなくても,その時,打ち込んだ楔はやがて欠かせないポイントになっていたりする。そのポイント同士がロープで繋がりだすとき,もはや,人智のものとは思えないご縁が発動していたりするのを感じるはずだ。
 人生とは「気持ちのいい人」との出会いであり,その場やそのつながりを,大事に,かつ土台にして進むことだ。そして,登場人物がいう「なんだろうな,つくることと生きることを切り離してはならん,っていうのかな」のとおり,モノづくりだけなく,人との関係づくりにおいても,生きることと切り離しちゃいかんのだ。
 市子ちゃんと三宅ちゃんとほぼ同世代であろう私は,特にそう思う。