読書感想文「首取物語」西條奈加 (著)

 和風・異世界冒険ファンタジーである。
 読み手の我々の周りを漂う「せつなさ」の正体は何だろうか。本書を読み進める間,ずっと「せつなさ」がまとわりつく。そう,本書に限らず冒険譚とは,実はワクワクが全てではない。せつなさがセットなのだ。冒険のステージごとに次々と別の登場人物があらわれるのはなぜか。そこで,ヒヤヒヤドキドキの不思議に遭遇し,物語が展開するのが冒険モノだとして,そのステージの終いには,出会った者と必ず別れるのが構造として含まれているからだ。そのステージでどれほどの熱過ぎるやり取りがあったとしてもだ。
 そうした冒険ファンタジー特有の構造に加え,別れそのものにへばり付く死の存在だ。本書は,快活な少年という「生」の象徴と「首」という「死」の象徴が物語を進めることからこそ,いっそう,死がまとわりつく「せつない」冒険物語なのだ。
 生きている者,これからも生き続ける者にとって,死とは理不尽そのものだ。それは,単なる不可逆性だけでなく,「生」きることの意味づけが無意味化させられてしまうことでもあるからだ。
 だが,菌や微生物に限らず,日々,膨大な数の生と死がある。生きる意味とともに死ぬ無意味もある。いまの時代,意義づけられてパンパンに膨らんだ「生」とは,果たしてそれでいいのか?所詮,死とはありふれた出来事で,蛇口をひねれば水が出てきたり,スイッチを押せば消灯するようなものではないのか?とも問いかける物語だったりする。