読書感想文「落語の凄さ」橘 蓮二 (著)

 昇太,一之輔,鶴瓶,宮治,志の輔。著者が「人気者」の落語家として選んだインタビュー集だ。この「人気者」というのが厄介だ。世間で知られているところの誰々というのが条件になるからだ。寄席や落語会に年に10回以上通うような人は相当なマニアだ。つまり,巷の大抵の人は,「人気者」の落語すら聞いたことは無いのだ。
 では,これら「人気者」の本質とは何か。「人気者」であることを受け入れた人だ。決して,そのポジションを強引に欲しがったかどうかではなく,条件が整ったなか,引き受けたのだ。結果,覚悟した人たちなのだ。
 本書の中で志の輔師匠へのインタビューが,別格だ。インタビュアーと本人とのやり取りを読んでいるはずが,まるで違う感覚,錯覚に襲われる。それは「立川談志は成仏していない。まだ,現世の落語界にいる。依然として空気として漂っている」と思わせるのだ。もちろん,談志イズムが厳然と存在する,としてだ。そんな成仏していない落語家なんて,まだ,いるだろうか,と考えた。志ん生,可楽,彦六,昭和の名人だけじゃない,志ん朝桂歌丸三遊亭円楽だって5代目も6代目も,区切りがついている。桂米朝だってそうだ。もういない。待てよ。いた。柳家小さんだ。まだ,落語界にいるぞ。それと小三治師匠も,か。その「小さん」主義,小さんの様式,教えが空気としてある。落語家の業(ごう)なのか。それとも残された弟子たちの師匠語りが,まだ,現世にいるぞ,と思わせるのか。志の輔師匠へのインタビューを読みながら,ゾクゾクしたのだ。
 現時点で人間国宝への最右翼は志の輔師であり,二番手は談春師だ。それが実現するとき,まだ,現世に漂う立川談志は「アタシはね,人間国宝を二人つくったんですよ」と師匠・小さんに「あかんべ」をするだろう。