読書感想文「親鸞と日本主義」中島岳志 (著)

 親鸞が好き過ぎて、親鸞原理主義に陥った若者たちがいた日本である。
 青年が艱難辛苦から、救われたい、逃れたいときに、「他力本願」に気づき、阿弥陀さまに慰撫され、癒され、構ってもらえることが嬉しかったの相違ない。寂しかったのだ。そんな青年たちが、なぜ、国学や国体論と結びつくのか。絶対他力によって救ってくれる存在である大いなるものとして、国家を想起したのだ。なぜか。親鸞という「日本人」が、伝来物の仏教を真宗というカタチにした。すなわち、日本オリジンであり、浄土・イン・ジャパンである。そんな日本発の思想が、大衆を救ってくださる。俺たち日本の民衆バンザイである。
 青年のやり場の無さや鬱屈の放置がテロに結びついた。そのために真宗ですら、おもちゃにされた。やんちゃに煽る者がいたとして、煽られても毅然と無視をすればいい。「寂しく、心許ない者は、イキって大声を出すんだ、ふーん」と。幕末から明治維新以降、騒ぎ、煽り、罵った者たちを制御できなかった歴史を見ておこう。