温泉に浸かって静養し英気を養わないとやっていられないのだ。
栄養摂取や健康管理の知識の普及も十分ではなく、一般家庭はもちろん、大企業や官公庁だってエアコンの普及していない時代なのだ。一国のリーダーたちに頑健さが求めれても人生50年の時代である。まして、粉塵が舞い、工場から煤煙が立ち上り、川は澱み海は汚れまみれの大都会・東京にいるのは嫌になっちゃうし、堪える。
余燼をもって代えがたい吉田茂だから許されたとも言えようが、温泉そのものの効能は偉大だ。しかし、都内から温泉地である伊豆・箱根までの距離がもたらす効能も無視できない。わざわざ時間を掛けて隔絶された場所に行く、ということの意味だ。東京なら、有象無象が近寄ってくる。入れたくない情報、真偽不明なネタなどがいつの間にか舞い込む。これらを寄せ付けないための解は何か。物理的な距離を取ることだ。簡単に行けなければ、会いたい人にだけ会い、自分のペースで考えることができる。そう、主導権を握ることができる。
空調が行き届き、携帯電話で必要なタイミングで自分からアクセスできる。突然の来客もアポなしでやってくることもほぼなく、スケジューリングが精緻な時代になった。夏休みの取得も必須化された。つまり、温泉地までの時空間の距離が必須ではなくなった。温泉に居続けなくても静養は主体的に取ることができるようになった。
いま、政治空間はスマホの画面の中の文字や動画が、最も親密な場となった。休息する様子の発信も大事なコンテンツになった。
戦後政治の人間関係を「距離」から読み解こうとする試みの一冊だ。歴代総理は個々に面白いが、石橋湛山のトンガリっぷりは、没後50年で湛山アゲのいま、知っておいてもいいのではないか。
それにしても思う。あー、伊豆や箱根の温泉に行きてぇ。
