天才の電磁波を直接浴びた人のエピソードだ。
立川談志とは何か。言語化の鬼だ。理不尽、不条理、出鱈目、いい加減、悔しさ、情けなさ、みっともなさ、恥ずかしさ、辛さ、こうしたマイナスの状況や思いから湧くやり切れなさ、どうしようもなさへの向き合い方を言葉にした。そんな人はいない。だからこそ、不世出であり、天才の発する強烈な光に誰もがギョッとした。言ってくれるなよ、そんなことである。しかし、思考が先走る。鍛え上げた口舌よりも思考がどんどん先にいく。そのもどかしさと本人は戦った。
では、弟子とは何か。スターには寄ってきちゃうし、集まっちゃう。どうしたものか、と思ったことだろうが、師匠ともなれば、親分である。弟子をどうにか一人前にしなくちゃいけない、という了見がある。師匠の了見、弟子の了見である。物理法則のような科学の絶対性のほかに、本来、絶対がないはずの人間関係において、師匠という絶対性や規範を持ち込み、仕込んだ。
「これがあれば、生きられる」という価値観、生き様、判断基準の範を示した。落語とは何か、落語という伝統芸能の寿命を延ばした男・立川談志が残した言葉の数々は、ソクラテスではないか!と思う。そうした思想としての立川談志を理解するための第一歩の一冊だ。
それにしても談志の「基礎はキチンとやれ」と文字助の「最後まで辛抱できたら勝ったも同じ」は、沁みるなぁ。
