世界のフツーのご飯だ。
とは言っても、我々にとっては全くの非日常である。見慣れぬご飯がそこにある。本をひらけば、岡根谷さんがなぜか、そこのお宅を訪ねている。そして、その家の人たちがご飯を作り出し、食事を作る風景を岡根谷さんがルポする。ただそれだけであるし、たまに帰国した岡根谷さんが再現したりする。まあ、割とよく再現している。
お気づきだろうか。食事を家庭で作るのである。中(ナカ)食でも無ければ外食でもない。食事を自らの手で作る人たちについての話なのだ。当然、コンビニ飯も出てこない。あれ?何でこんなに我々の食事は忙しなく慌ただしいのだろう。何でこんなに自分の食事くらいじっくり作ることができないのだろう。何か軸がズレていないか。
詰まるところ、ご飯の価値、食事の価値ではないだろうか。人は、共食する。ご飯は嬉しい。食事は楽しい。食べることだけじゃない。食事を作ろうとすること、道具を並べること、できた料理をよそうこと、そう、食事の場、その機会を作ることは楽しいのだ。
クリエイティブの発揮、ものを作る喜び。根源的な喜びが食事にある。世界は広い。いろんな食事がある。どう考えても食欲を満たすだけの行為ではない。
