非日常性の根拠はイメージの消費


 先日,ほかの町の方との話しで「うちの町の人たちは,週末に家族と食事をするとなると札幌に出かけてしまう」と聞かされた。確かに札幌まで数十分の距離だ。時間と距離が負担にはならないのだから,すんなり出掛けてしまうだろう。とはいえ,地元に店が無いかといえば,決してそうでは無いはずだし,幾分,営業努力に欠けていたとはいえ,そこでの食事に不満が高いわけではあるまい。では,なぜ,週末の食事の場所として選択されえないのか。
 それは週末の食事として描く「ハレ」のイメージを相応する非日常性を地元が提供し得ていないからだ。それはワクワク感といってもいい。そうして描いた非日常性を満足させるだけの体験をロールプレイさせることに失敗しているためであり,本来,こうだったらイイなと思ったイメージを演じることで消費し,そのことに満足するはずなのだ。
 逆をいえば,消費者側のイメージの貧困の問題だ。ゆえに,週末の過ごし方のクールなスタイルとしてあるべき食事像を地元が提供することで,札幌で過ごすことの無い新たなイメージを消費者が得ることができれば,現状の失地回復は可能だ。
 消費者と地元が一緒になってスタイルを確立されて出来たブランドは,きっと強い。