読書感想文「思いがけず利他」中島岳志 (著)

 意思や欲ではなく,どうしようもなく手が動き体を動き,モノを言いだしてしまう情動。これこそ利他の根っ子である。
 大きな厄災の後,我々は我が身を顧みる。大きな災害,経済危機,そしてパンデミック。みんなが皆んな,いま,薄々気づきながらやっているのだ。これを機に考えを改めないといかんと思ってこれまでと少し違うことをやり始めているのだ。だからこそ,いま,他人のためになることをせっせとしていることの構造を解いたこの本に,意味がある。
 以前なら「世のため人のため」と呼んでいた「他人のために身を挺すること」への正当性を与えてくれるこの本は,新自由主義の終焉とともに寄る方なく孤児のような我々に,「つい」,「ふと」,「たまさか」,「おもいがけず」,「どうしようもなく」他人のために動いちゃってもイイのだ,と言ってくれている。
 善行とは胡散臭く,怪しく,訝しい。だから,こんなこと,やっちゃってイイの?と躊躇するのは自然だし,何をカギとし中心に置くと良いのかがわかる。案外,堂々と生きるためのガイド本かもしれない。
 そうそう,最晩年の立川談志ファンにもオススメだったりする。


読書感想文「室町は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界」清水 克行 (著, 編集)

 みなさんお馴染み,世界最凶の日本中世がテーマの野蛮ワールド解説本である。
 紹介される中世が,ちょっとヤバいのだ。アナーキックで瞬間沸騰型にキレて殺しまくり,暴虐非道の即殺人社会。まぁ,そうなんだけど,現代にチラチラ地続きなのだ。多様な言い分,主張があり,あちらもこちらも立てる必要があり,スジを通さないと通用しない。
 通貨や農業技術がジワリジワリと発達してきてモノゴトの扱う単位や行動や視野に入る範囲が広がることで世間や社会を意識することが可能になってきたことで,中央の権威や宗教だけがイバるのではなく,自分たちも何か言っていい。複数方向の社会のベクトルが作用する時代になった。
 ヤクザ集団としての武士がただただハバを利かすヤバヤバ社会だから混沌としていたのではなく,あっちもこっちもいろんなパワーが興って社会が混沌としたからこそ,暴力装置としての武力が尊ばれたのだ。ヤレヤレ。
 多様性の時代であり,様々な価値が共存する現代である。中世をバカにせず読んでおくことは価値があると思うぞ。


読書感想文「ボローニャ紀行」井上 ひさし (著)

 ルポライター井上ひさしである。
 間違いなくボローニャへ行ってみたいと思わせる井上の筆を称えるべきなのだろうが,イタリアの地方都市を動かす気質やポリシーの魅力を存分に味合わせてくれる。街のエンジンである人々の気概と行動,そして街の歴史を残し伝承していくことを誇り高く語る様子が生き生きと伝わる。
 それにしても,後半,描かれる統一ユーロ後,すなわち経済のグローバル化に伴う国内経済の疲弊と社会の分断によってボロボロになっていく地方都市の惨状はベルルスコーニのせいにしてしまうのは容易いが,新自由主義の帰結であり本書の中でも井上が「日本と一緒だ」と繰り返し書いていることは,2020年代の今,さらに噛みしめるに値する。
 井上の旅行記や見聞録がこんなに面白いのなら,彼の信条に叶う土地を巡らせ書かせる「街道を行く」のような企画がもっとあったのではないか。座付き作家とは言え,拘束させずに中南米なども含めカトリック教徒の多い土地を歩かせていたなら,また違う創作が生まれていたのではないか。所々に現れる井上ユリがこれを書かせているようで面白いし,やはり少し惜しい。

 

 

 

 

読書感想文「落語家論」柳家 小三治 (著)

 随分と背負ったタイトルなのだが,小三治師の本意ではないだろう。連載「紅顔の噺家諸君!」の書籍化を頼まれて任せてしまったのだから,後は四の五の言わないことにしているだけだろう。
 若手に向けて始まった連載だが,この頃の小三治師はまだ,周りにあれこれ言いたい,面倒臭い人である。目の前の人間や電話の向こうの人に,了見がどう,寸法だの間尺だのと言いたい。人かどの噺家になるに当たって,教わった芸と盗んだ芸の違いをアレやコレやと言ってしまいたい。
 だが,かつてぞろぞろしていた名人上手たちと同様に,少し枯れて人間の欲を減らすような,言わば,ちょっと諦める,希望や夢を掴もうとする手を緩めることで自然体でいることを意識していることを,志ん生師父子の会話から吐露する。ウケたい,笑わせたいのは当然の欲だが,剥き身の人間として,その人自身がウケることが大事なのだ。噺家らしい噺家であろうとすることを「もうやめた」と言い放つことで得たのが「さらけだす愉快」だ。
 かつての名人上手は貧困や病気,戦争で世間での暮らしの中,ちょっと諦める,ギラリとした欲を手放ざるを得なかったはずだ。苦労が彼らをそうさせた。だから,我々だってエラくなりてーなー,リッパになりてーなー,ではなく,困っている人を助け,問題を解決する,そうやって「シゴトを為す」。欲を手放して,お天道さまのもと人の道を生きる。
 人間国宝の言葉と生き方から,そんなことを考える。実は「シゴト論」である。



読書感想文「きれはし」ヒコロヒー (著)

 まだ何者かになる前の坂道の途中の人が書き記した「きれはし」である。
 なので,視点はブレる。迷い,戸惑う。悩んでいる。これでいいのか。違うやり方があるんじゃなかろうか。方向はある。でも,スタイルは?,ポジションは?そして芸人としての需要とは。
 ザリザリとした表面に砂糖をまぶしたような文章は,日常からブツブツと湧き上がる感情のそれぞれを表現しており,山登りの際に触れる岩肌のようでもあり,それは今,悪戦苦闘して足掻いている人たちにとって共感を呼ぶことになるだろう。
 やがて,大きな手柄を成し,盤石な基盤を持つことになってしまったあと,本人にとっては振り返りすらしない一冊になるかもしれないが,そうした本を本人が書いたことを知っているのは読書をする人間にとっての愉悦だったりする。
 世間への違和感を言ったくれる存在は,いつも貴重だ。だからこそ,決して整ってはいない気持ちをそのまま,むず痒いまま読むことも大切なのだ。


読書感想文「奇跡の経済教室【基礎知識編】・【戦略編】」 中野 剛志 (著)

 財政健全化をお題目とする「認識共同体」とは何かを明かす謎解きである。
 仲間内の価値観や認識での正義を信じて疑わず,自己責任とルサンチマンを撒き散らし,これまで信奉してきた「国の財政危機」を唱え続けるエリートとやらの群れが正体だ。
 歪んでいるのだ。国民に我慢させろ。甘やかすな。自助努力が足りないんだ。もっと厳しくしなくちゃ。ワガママは許されない。だから,その切っ先は政治家にも向く。国民への負担増を強いるための説得ができなくちゃあいけない。政治家の力量が問われる,政治家のあるべき姿だだと迫る。
 無茶苦茶なのだが,彼らは都合が悪くなると「いいえ,元々は反・新自由主義でしたよ。反グローバル主義ですよ」と言い出すだろう。体制の側にいるとはそういうことだ。さまざまな力の加減で物事が動く時代の転換点である。主流派経済学もMMTを包含した学問体系のふりをすることだろう。
 先に本書を読み,世の情勢とはこうして変わるのかと呆れながら眺めるのが正しい態度だろう。仮にこの本のとおりにすっかり政策が変わっても,警鐘を鳴らし世を憂いた本があったという証拠になるし世の中を冷静に見るための上下二冊。教室には早めに入ろう。


読書感想文「星新一の思想 ――予見・冷笑・賢慮のひと」浅羽 通明 (著)

 労作である。星新一星新一を成さしめているのは何か?を誠実に著述した一冊だ。
 完全に空調の効いた室内のような,プラスチックや人工大理石で床や壁で出来上がったツルツルとした空間。そして,吐息や体臭の無い登場人物たちの星新一ワールドとは?を問う。
 中学生にとって,なぜ,あんなにも星新一の空間にとって居心地が良かったのか。ベタベタしない人間関係が成長過程の煩わしさから距離をとってくれる言語空間がマッチするからだろう。とりわけ共感性羞恥にまみれた者にとって,感情移入して戻れなくなるような小説世界ではなく,そのシチュエーションを俯瞰できる星新一ワールドは安心できる。
 星新一を一冊,読み終え,こんな誰も考えたこともないようなワクワクする世界を見せてくれる著者は?と著者の写真を見れば,オールバックの白髪のオジさんだった。特に強烈な印象を残さない姿と作品とのギャップが逆に印象的だったのを思い出している。
 やがて,時代の波に揉まれ,多くが古典として生きながらえるであろう一連の作品群が,どう受け継がれていくのか。その景色を眺め続けたい。