読書感想文「アンと愛情」坂木司 (著)

 主人公・アンは成長したか。高校を出て3年。デパートにテナントとして出店する和菓子屋のアルバイトとして,ただオーダーの入った商品を詰めて会計するのではなく,商品としての和菓子を愛するが故に,客との間のコミュニケーションや商品知識を深めながら,店先に立つ和菓子探偵よろしくドンピシャの和菓子を探し出す。そんな話も3冊目。アンは相変わらず,自信なく怖気づきながら,変わってへんのかい!そんなことも言いたくなる。
 歴史と技法が詰め込まれた和菓子。そうした伝統の世界と,物販と集客の一典型であるデパ地下。高卒で正社員では無いアルバイトの自分を卑下するアン。そうした所在なさげな「自分」とキッチリと組み上がった「大人」な世間とのコントラストを「そうだよねー,そうだよねー」とページをめくる読者を思い浮かべるといいのだろう。
 徒手空拳で和菓子の世界という大海に向かい,ただただ自分の卑小さを感じているその時,「でも,あなたは成長し居場所があるのだよ」と,いい大人の読み手は伝えてあげたくなるのだ。


アンと愛情 和菓子のアン

アンと愛情 和菓子のアン

読書感想文「手の倫理」 伊藤 亜紗 (著)

 インターフェース論である。境界がある。自分と他者の境目である。その物理面での境界を知り得る「触覚」がテーマなのである。
 触覚が伝える情報量の多さとは,視覚とはフェーズが違う。温度,圧,面積,水分などなど。そして,それらが時間とともに絶えず変化し,そして,その接触面からこちら側の情報も伝えるとともに,重心や捻り,ねじりなど2次的な情報が伝わる。
 面白いのは,触覚を通じたやり取りとは,「押し合いへし合い」であるため,自我を貫き通すこととはならず,「受容」が生じ,相手とシンクロしたり,委ねたりすることになることだ。
 直の接触以外に,ロープ,棒,手拭い,スポーツ用具をつかって相手と繋がるなど,直接,間接を問わず,ソーシャル・ディスタンスは取るべき社会となった。「触れた」となれば,手を洗わなければならない。
 近現代は非接触に価値を置き,接触をより避ける方向に進んだ。接触の禁忌や接触してしまうリスクを避ける道徳,倫理をも説く一冊。さて,ページを「めくって」もらいたい。


手の倫理 (講談社選書メチエ)

手の倫理 (講談社選書メチエ)

読書感想文「一橋桐子(76)の犯罪日記」原田ひ香 (著)

 主人公・桐子その人がやけにくっきりと浮かび上がる。目の前にいるようだ。これまでの人生での社会経験を経た上品な佇まい。八千草薫か。
 原田ひ香は,またしても,社会の矛盾,デタラメ,不公平を描く。そしてそれらが絡み合う不幸を。歳を取るーそれは,体が衰える,頭脳の明晰さが陰る,つまり,にぶる。それだけか。違う。心がすり減る,摩滅する。折れる。失うのだ,あれやこれやを。その正体とは,生きていく炎,意欲というべきか。
 犯罪は転がっている。悪人は,素人や堅気をいつもカモにしようと,すぐ隣にいる。もともと,世間様やお天道様が空気を澱ませず,日を照らしていたなら,犯罪や悪は近寄って来られなかったものが,世間が閉じ,歪み,市民社会の健全な明るさが陰る今,カビが腐敗が生じる。健康な時間がこぼれ落ちるのが老いである。暗い気持ちはどうしたって抱えるのだ。
 まるで,くすみの無い心を持つような主人公・桐子の冒険譚のような話でもある。
 待てよ,キリコとは,手塚治虫の医療漫画「ブラック・ジャック」の旧縁のあの「死に神の化身」ことドクター・キリコか。


一橋桐子(76)の犯罪日記

一橋桐子(76)の犯罪日記

読書感想文「空洞のなかみ」松重 豊 (著)

 あぁ,そうか。一つの道を歩んできた人には,その道すがら見てきたもの,知らずに登った山坂から見える眺めが,言葉を連ねさせるのだな。そんなことを松重豊の短編小説に思う。
 妄想とも夢の断片とも思わしき正体のわからぬ状況を,テレビや映画の「現場」のシーンを通じて,読者に提示し物語は始まる。有名俳優だもの,こんなことはあるだろうな。そんな風にカットの声が掛かるまで身構え,体や表情を動かすのだろうな。相手役やスタッフに対して,そんなことを思っているんだろうな。馴染みがある役者だけに入り口を受け入れてしまう。だが,妄想譚は,その途中から訳がわからなくなる。不安になる。どうなるんだろう。どこに落ち着くのだろう。
 そうしていても,短編である。読み進むと,キッチリとオチをつけて終わらせる。12編すべてにおいて,そう。松重豊として,このサゲで行きましたよ,と。松重ワールドとは,こんな奇譚だったのである。真面目な役柄の多い人ではある。だが,なかみはマトモじゃない人だったのだ。



空洞のなかみ

空洞のなかみ

読書感想文「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」デヴィッド グレーバー (著)

 「王様は裸である」と種明かししてしまった本である。
 なぜ,やりがいを感じられもしない仕事で,真っ当な額の収入を得てしまっているのか。いい大人はそんなことを口にしないものだ。しかし,働いたことで価値を生み出し,そのことで生業として収入を得る。そんな価値を自分の職業としての働きに見いだせない人があまりにも多いんじゃありませんかね?とデヴィッド・グレーバーは言うのだ。調べましたよ。ずいぶんとたくさんの人が,そうですよね?と。
 いま,我々の社会において必要とされることの一つが眼前の問題に対する「スピード感を持った取り組み」である。実際に,仕事を加速させたり,当初の日程を繰り上げたりすることじゃない。いかにも,忙しく「やってる風に」見せることだ。いやー,大変そうですよね?と。物分かりのいい人に,そう言わせりゃ勝ちだ。いや,価値か。実際の測定可能な仕事量ではないのだ。いかにも「やってる」と思われればよく,きつい仕事(シット・ジョブ)が蔑まされたままに。
 そんな「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」が蔓延する社会に僕らは生きているんだ,とバラしちゃった本だ。


読書感想文「音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日」岡田暁生 (著)

 合唱がもっともヤバい。長時間,ひとが集まり,お喋りするのもリスク。いま,ナマの音楽,舞台芸術は,これまでとは別の世界にいる,と言っていいだろう。
 不用不急−と呼ばれた芸術娯楽,まして音楽イベント,そもそも,じゃあ音楽って何なんだ?とこの機会に遡って考えた一冊である。
 音楽は演奏家,聴衆からなる。現代の我々にとって当然だが,これは当たり前じゃなかった。祭りや,宮殿に客として招待され,音楽がそこにあったのが,ハイドンベートーヴェンの時代に初めて「コンサート」なるものが生み出されたのだ。やがて,メディアが録音された音楽を届けるようになり,音楽がすみずみにまど行き渡る時代になり,掌に収まるまでになった。
 これから,音楽,とりわけライブはどうなるか。ひとが集まることそのものが,感染症疫学上の数値をあげてしまうのだから,無観客ライブ,少人数や客席を間引いての催行としかならない現在から,未来を見通すことは難しい。ただ,歴史から現在地を測り直す行為は,やがて様子が変わった際に,それぞれにとって立脚点となるだろう。



読書感想文「たのしい知識――ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代」高橋 源一郎 (著)

 「我らがGTこと高橋源一郎」と呼んだのは評論家になる前,自動車雑誌「NAVI」編集部にいた武田徹である。GTは自動車雑誌にも寄稿していた。当時,武田徹は誌内でタケちゃんマンと呼ばれていたが本人含め,どうでもいい話だろう。
 さて,そのGTこと高橋源一郎が,教科書を書いた。目的は何か。世の中のことを知るためである。もとは文学探偵である。真相を明らかにするのが探偵の探偵たる所以なのだから,とことん,解き明かすのだ。文芸時評をやっている頃は,文学について語っていたのが,GTはなんと論壇時評にまで進出する。この世を,この世界について論ずるあらゆるテキストを相手にし出して以降,GTは止まらないのだ。
 天皇憲法を,世界中の憲法と並べ,何がどう特殊で特別なのか(全然フツーだった!),むしろ,その出自に由来する当時の世の中を辿ることで明らかにしてしまう。隣人・隣国を理解するための「言葉」を言葉そのものの存在から考え直す。そして,コロナである。
 江川卓の隣で競馬予想していたGTは,文学探偵であり続け,文学を教える先生になった。その先生を終えたにも関わらず,混乱するこの世界が必要とする教科書を自分で書いた。生徒である僕らは用意された教科書をただただ,手にとればいい。どう読むかは僕ら次第なのだ。