競争を勝ち抜き、栄光や栄冠にまみれた環境が用意され、そこでの目標を達成したものの「得られるはず」と期待していた天啓や啓示が来なかったとき、人はどうなっちゃうのか。「自分らしさ」ってなんだっけ?と見失った野口が、再出発後に、つい自分語りをしちゃった本だ。
喪失感や虚無感に襲われ、自分でも意識できるほどの燃え尽き症候群が待っていたと野口は言う。「他者があなたを評価し、目標を与えてくれるとは限りません」。しょせん、時間や関係性、立場や役割が変わってしまえば、よそ様が与えてくれるものなんて無くなっちゃうことがザラにある。いや、そっちがフツーだ。だからこそ、自分のアイデンティティや自分の目標は、人任せにしちゃいけない。
自らに問うべきは、どう生きれば、自分が幸せだと感じられるか、だ。
ここで厄介なのは、SNSを含む世間からの承認欲求ではないか。「イイね」と言ってもらいたい。何なら憧れてもらいたい。すごーい、すてきー、と言ってもらいたい。認めてもらいたい。重用してもらいたいなどなど。それらに対し「自分は自分、他人は他人」と言えるか。同調圧力下で暮らしてきたわけだから、そう容易いわけじゃない。スナックのママだって、お前さんの愚痴なんぞ、ときほぐてしてくれないのだ。
詰まるところ、意識して「環境を変える」しかないのではないか。よそ様も当てにならないし、自分の内側から湧いてくるものを期待したって、いつまでも待っていられない。自分を見つめ直したって、鏡を見りゃ昨日と同じ顔があるだけだ。そうであれば、住む場所、働く場所、つき合う人、時間配分、持ち物など、移し、捨てることではないか。変化を実現するとはそういうことだろう。
「中年の危機」問題に悩んだ記録とも言えるし、定年前オジさん向け自己啓発本とも言える。宇宙飛行士という、何者かになれた人でさえ悩むということは、何者にもなれなかったけど諦めきれない人や虚無を拗らせている人が大勢いることの証しだ。どう生きるかで燻っている人の方が多いのだとしたら、我々の社会は不安や不満にまみれているという恐ろしさを、感じざるを得ない。
読書感想文「知能とはなにか ヒトとAIのあいだ」田口 善弘 (著)
しょせん、世界認識を目的に、現実っぽく再現するために再構築(シミュレーション)しようとする試みなのだ。
「知能とはなにか」である。タイトルでか過ぎ問題である。答えはシンプルだ。定義があるようで、実はない。そんなことある?と聞き返したくなるが、物理学から知能研究、深層学習を長年追ってきた著者にとっては、不思議なことではない。それだけ揺らぎのあるものだし、コンピュータサイエンスの急発達が突破口を開いてしまっただけのことであって、起きていることと、原理原則の理屈から状況を把握してみれば冷静になれる話しだったりする。
本書は、2020年代の生成AIのブレークスルーをあらためて振り返るとともに、ギリシャ・ローマの時代からの世界を理解するための古典的な物理法則などの手法により生身の人間が脳でもって現実世界を脳内で再現してきた人類史とは別に、大規模な深層学習とは独自に進化した物理学により現実把握した結果を出力し始めたのが生成AIということだ。なので、人間の脳の再現ではなく、それっぽく振る舞う似て非なるモノである。現状、べらぼうな出力を発揮する能力を持つが、根本の人間の知能とは違う。出力結果だけを見て、シンギュラリティが来ただの来てないだの叫んでも意味がない。人間の脳が行なっていることとまた別の話しなのだ。
いま、我々が手にし始めているのは、人類にとって新たな道具だ。動力機械、医薬、アンモニア合成、原子力発電など人類史を書き換える能力拡張のテクノロジーに、生成AIが連なる場面だ。もはや、生成AI抜きの社会がこの先あり得ないのだとして、冷静に「知能とはなにか」の問いと向き合っておいた方がいい。もっともらしい結論を我々に提示してくる知能っぽい何かの理解のための一冊だ。
読書感想文「プロフェッショナルマネジャーの仕事はたった1つ」髙木 晴夫 (著)
指揮官に就き、人を動かす立場になった方が、あらためて頭の整理のために読む一冊ではないか。髙木は、マネジメントの仕事は特別なものじゃないという。それは采配すなわち、情報を、感情を、思いを、疑問を「配る」ことだという。そして、ネタや気分を拾い集める。それがマネージャーだ、と。
マネージャーは、経営者や役員から見られている。しかも、それだけじゃない。人事担当からも見られている。しかも小役人チックに。「人事部があなたや他の社員に望んでいるのは、「手間のかからない人材」になってほしい、ということなんです」。そうなのだ。メンドー起こすなよ、である。ネガティブなネタを抱えたヤツは、どれだけ成果をあげ、優秀な成績を残したところで、トータルでプラスの高評価を与えるわけにはいかないのだ。減点主義の所以だ。大人しく波風立てんなよ、である。組織の状況と課題を認識して、チームづくりに励み、上手いことやってくれ。大成功じゃなくても、中成功、小成功でいいんで、となる。ヤレヤレと思う方も多いだろう。だが、それも組織だ。
しかし、社会経済情勢は変化する。顧客や市場の満足を継続して得られなくなってしまえば、自社や自身を変革し、適合・順応することが求められる。そんな大事な場面で力を発揮できるよう力を溜め、然るべき場面でマネージャーとして存分に動こう。普段の「配り」を生かすときのために。
読書感想文「Makuake式 「売れる」の新法則」坊垣 佳奈 (著)
眩しい。装丁や文字修飾のどピンクだけじゃない。真っ直ぐな思いが眩しさととともに突き刺さる。その理由とは、この本は輝く成功を説くからだ。
「昭和」なオジさんの夢見た単純な「成功」像とは異なり、バリエーションが大きく広がった現在にあってなお、目標に向かって進むとき、決意や覚悟が大事になる。これらが無いと、肝心な時に度胸や踏ん張りが出ない。いーこと言ったって、所詮、苦しい時に尻尾巻いて逃げるんじゃないの?と言われかねない。そして、本質・本物であるかは、常に問われる。上っ面だけじゃないの?ただのカッコつけじゃないの?と。そんな質問に返すことができるのは、どんなふうにどれほどの時間を過ごして磨いてきたか、愚直に稽古や訓練にコツコツと取り組んで来たかということだ。
成功のロードを歩むために、新規性や奇抜さやオリジナリティに加え、信頼に耐える根拠が土台にあるかだ。これまでの歩みがストーリーとなって、クラファンにおいても信頼感を生じ、広がっていく。そうした説得力が必要となるからだ。
真剣に突き詰めて、とことん商品やサービスを作り上げていくときに、人は「考える」。あーでもない、こーでもないと考える。繰り返し、考え、それでも諦めず、考える。そうやって考え抜いてこそ、いろんな疑問・質問に答えることができるし、自分の言葉で語ることができる。内側から湧き上がってきた言葉は強い。そうした言葉がファンやサポーターを広げていける。
若い社員のチャレンジやスタートアップを応援する風土のある企業でキャリアをスタートさせ、成功を積み重ねてきた坊垣だからこそ、この著書に説得力が生まれている。侮るなかれ、いい本だ。
読書感想文「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書」阿部幸大 (著)
この読後感を興奮とともに伝えずにいられようか。
霧のように揺蕩うアカデミアの中で相手にされる論文を書くために身につけるべき規範と技法、姿勢・態度というものがあるような気もする。達人が習得するべき奥義のようでもあるし、因習・慣習にまみれて時間とともに身につく何かなのかもしれない。なーんてことは全然、無いんだ。とバラしちゃった一冊。なんだよー。ちゃんと定義や構造があるんじゃん、となった。ちっ、誰も教えてくれねーから知らんかったわー、となる。んでもって、爆売れである。
わが国では、修行が重んじられる。「目で盗め」というヤツだ。師匠について、師匠の機嫌を伺い、師匠のベストパフォーマンスを発揮させるための気働きができるようになりつつ、技芸が磨かれるというアレだ。また、学校に入った途端、徒競走をやらされ、絵を描かされ、歌を唄わされ、結果、早いだの遅いだの、上手いだの下手だの言われる。メソッドもトレーニングも無いままに。そんな中、ある日、突然、才能のある者に光が当たり、見出されシンデレラ・デビュー…。んなこと、あるかー!
この本のパラドックスとは、アカデミシャンがアカデミアで生きていこうとし、やがて活躍するためのツールについて言語化したことである。えっ?アカデミアにおいて、アカデミシャンが自分たちのツールや方法について、まともに言語化されてこなかったの?という巨大な「そんなことをやらずによく生きてこれましたね。運が良かったんですか」である。
全大学生は必読だ。ぜひ、人文学の学徒足らんとするものは、反論を用意し発展させるべきだ。総じて、すべての研究者としての戦略が磨かれ、人生の設計が強靭になるからだ。
読書感想文「キーエンス流 性弱説経営 人は善でも悪でもなく弱いものだと考えてみる」高杉 康成 (著)
儲かることに特化した企業だ。おかしなことか、いや営利企業であれば当然だ。世の中には、往々にして、企業理念として青臭い、聖人君子が掲げちゃう理想や理念を明日にでも実行することだと勘違いする企業と社員が大勢いる。違う。そうやないんやで。儲けなあかんねんで。おまんまどうして食うねん。製品をあまねく届けるだの、世の中のみんなに健康と豊かさを届けるだのといった夢や願いはKPIやない。天高く描いたものを実現するための儲けが必要なんや。
キーエンスは、受け取る製品やサービスへ「ありがたい」と思ってもらえて、ついお金を出してしまいたくなる値段を設定する。僕らがたいてい間違っているのはココだ。市場で類似の商品を探し、相場感覚をもとに想定の支払価格のもと原材料費と加工賃を、歩留まりとロット数でコスト計算して、利益が薄いだの、案外儲かっただのと語るのだ。ところが、キーエンスはそうじゃない。売れるシチュエーションすなわち困りごとを抱えた人をターゲットにする。そこで妥当と思わざるを得ない売価を設定し、80%の利益率を取れるかをしたたかに計算する。儲からんことはしないのだ。
そのためには、社員に無駄足はさせないよう事前の対処を施し、何をしてきたかもいつもフォローし、評価できるようにする。これって何だろうか。社員という代理店、フランチャイズ契約の相手のようだ。小テストを繰り返し、身につけた知識を確認し、本番で能力を発揮させるようにする習熟度別学習のようでもある。
客先の顧客のセリフと実際に財布を開けるかどうかの決断は、別なのだ。顧客がこう言ったからと言って、それを鵜呑みしちゃいけない。言うたからには買うてくれるやろと勝手におもうたらイカンねや。それと同時に職長が部下に「こいつはちゃんと客先で話ししてくるやろか」とあらかじめベストパフォーマンスを発揮できるよう、ロールプレイに手を掛けるべきなのだ。キーエンスとは「ホンマかいな」と疑問を持ち続ける会社だ。JTCとは違い、理屈オリエンテッドで動く会社と言えそうだ。その原動力は、蒸気機関と電気モーターほど違う。
読書感想文「高宮麻綾の引継書」城戸川 りょう (著)
問題児の成長譚だ。
若者が活躍するカイシャ小説か、となると少し違う。職場小説だ。なので、ビジネス・オリエンテッドかとなると、職場風土や空気がテーマだったりする。なので、イリーガルやインモラルな場面が出てくるし、主人公も派手にやらかす。トラブルも大々的にやっちまえば、本人の問題ではなく職場を超えた案件になり、お咎めどころかそのワンペナが重用のきっかけになるのだから面白い。
ガッツと能力を備えた若手が燻ったり、いじけたり、拗ねたり、跳ね返ったりさせずに、活躍させるにはどうしたらいいのだろう。やはり、職長がウンウンと話しを聞くことではないか。そして、こいつが自分の枠に収まらないと思った時は、積極的に、内外のいろんな場面で顔を売らせてやる機会を早めに作ってやることではないか。案外と若者の視野は狭いものだ。
習熟すれば、仕事スキルを身につけ、成績は上げるだろう。問題はそこからだ。クリエイティブにビジネス構築を進める方向に行くもの、リーガルやアカウンティングなどの審査に能力を発揮するもの、チーム・ビルディングやチーム・デベロッピング、コーチングやケアに有能さを発揮するものなど、さまざまな岐路に立つことになる。人生、どう一人前に成していくかである。
オジさんにとっては、痛々しいイキった若者を見守る小説であるし、そのことを踏まえ、年嵩の者として自分に我慢を課してページを捲るべきだろう。