とある時間についての物語だ。この本の最初の話しの「束の間」を読み、そう思った。
それは半透明というかハーフトーンの朧げな存在による「美しさ」について、書いておきたかったのだ、と思う。美しいものがあった、と言いたいがためにこの小編の作品を作ったのだ、と。
絶対的な美しい存在とは、それに魅せられた人と、魅せられてしまっている人がいるということを知覚する者を必要とする。さらに言えば、この関係に説得力を持たせるために「知覚している者」とはどんな者かを語る客観的な存在があれば、安定する。
ありきたりのようだが、嘘のような美しさのあった時間とは、その渦中では表現することはできない。美しさとは、絶対値であるため推し量ることはできないのだ。だからこそ、美しいものを失ったことで、憔悴し、茫然自失となった「魅せられていた人」を通して、やっと表すことができる。
美しさについて語ることとは、美しさについて関係を語ることであり、その関係が存在した時間である。そして、物語ることでケリをつけることになる。吉本ばななが行なっているのは、この作業ではそのものではないか。言わば主人公たちが別荘で行った作業そのものであるし、「本来無一物、何処惹塵埃」でもある。
そして、この本全体を通して、つくり話とファンタジーについて考えさせられる。きっとこの小編集は、吉本ばななに起こったリアルがモチーフである。そのための別れと救いだ。
読書感想文「きよくしぶとくやかましく」寺地 はるな (著)
「政治」の話しである。
寺地はるなは、世の中で見えにくい「うわー、そんなこと思ってたんだ」という「本音」を、掬い上げて見せつける。山のような量の、放っておくとグロテスクな本音の塊をうやむやにするんじゃないよ、と突きつける。
ホントは口に出して、とうの昔に話し合っておくべきだったことを「できた人」のフリして、いや、疲れるからその場をやり過ごしたままにしたい、と、大抵なる。
淑子さんが言う。「良いことしか生まない変化はないから」。
江南ちゃんが「うまくいかないと思いますよ。でも、しぶとくいきましょう」と返す。
変えることとは、変えたい人が周りを巻き込んで、このままであってはいけないと思う現状を別なものにすることだ。当然、変えたくない人もいる。変えられてしまって、結局、困ったことになった人もいる。変えたい人の願いだけが叶って良かったね、では、すまされない。つねに折り合いをつけていくことが求められる。
だからこそ、気づくべきなのだ。千差万別な本音が世間に晒されていないだけで、埋もれている。ただ、黙っていることとは賛意ではない。実は「早く、話しを終えろよ、バーカ」だったりする。
そんな中でどうやって折り合うのか。まさに「きよくしぶとくやかましく」とは民主主義そのものである。私は、オカケンこと政治学者・岡田憲治に読んでもらいたい。
読書感想文「気くばりのススメ 人間関係の達人たちから学んだ小さな習慣」中山 秀征 (著)
「いい人」は作れる。内心は誰にもわからないからだ。
「テクニック」をおさらいしておきたい。愛されるヒケツとは、①笑顔でいる、②否定しない、③身振り手振り、④勝負しない、⑤自分の話をしない、⑥相手を喜ばせる、だ。これらは、中山の発明発見ではなく、昔から言われ続けた知恵や習いだ。では、なぜ、伝承され続けるのか。たいていの者は、ろくに会得できていないからだ。人間とは感情の動物であり、感情でもって共感したり、エネルギーを得たり、そのときの自分の感情に支配される。自分を隠して「いい人」の仮面を被ることができていないのだ。自分自身を御し、運を掴み、出世し栄達しろ、ということだ。
動じず、細やかさとともに大らかさを保ち、先々を緻密に読みながらも大きな船を操るようにゆったりと周りを導いていく人は、立派な人であり、尊敬される人だ。だが、思い出してみよう。そんな人は、これまでの周りに何人もいたか?そうそういるもんじゃない。地位が人をつくる?いやいや、地位を得たからって、なかなか人は変わらんよ。じゃあ、いい人が地位を得たか?悪い人よりもその栄達の可能性は高いだろうけど、いい人だから立派な人ではなく、地位を得たから立派な人と呼ばれるのだ。立派なのは地位だ。
中山から学ぶべきは、長く生き残った者だけが時間を財産にして「語る」ことができる、ということだ。この本を書いた中山は芸能生活40年。世の中、時間とともに浮き沈みはある。だからこそ、ある瞬間、ある場面で人間関係を固定して考えてしまわないことだ。明日、明後日、来月、来年、互いの地位は逆転しているかもしれない。そうであれば、謙虚でい続けられる。だから、チームや打順を変えたとしても、打席に立ち続けることを目指すべきなのだ。腐されようとも、バカにされようとも、生き残った者だけが「時間」を語ることができる。「いい人」になって生き残れ。生存者として得られるのは、続けてきた時間の重みだ。そこにリスペクトが生まれてくるのだ。
読書感想文「軍都を歩く-基地と住民の地域生活史」清水 亮 (著)
生乾きだった歴史を語り、文字にすることができるほどに、乾いた歴史になったということだろう。
軍都であったこととは、軍都であることによって消費が行われ、見舞金や補償金を得て、産業が潤ったことが「負の歴史」とされ、そのことが平和社会のもとではタブーや忌避で口籠る負い目であり、活動家でもなければ、いちいち口にするようなことではなかったことの掘り起こしでもある。地域史、郷土史を見る際、空白史にしておくわけにもいかず、事実を事実として客観視できるくらいに、時間が経ったし相対化したということなのだろう。
軍とは、超公共事業である。軍用需要が起こり、軍人人口に比例した生活消費需要があり小工業が起きる。しかし、そうした一方で、産業創出を疎かにしてはいけなかった。地域の雇用をつくり、域外収支をプラスにする地域資本、事業体が作り出さねばならない。夜の宴会も、地域行事も軍人なしで回らないようではいけない。そうしたモノカルチャー経済は時代状況の変化に脆いからだ。その意味では、田舎に誘致されるのではなく、さまざまな産業が集積する都市の一面として「軍都」の顔も持つというのは一つのあり方では無いか、と思う。
「軍」や軍事力、兵器といった物騒さ、強制や暴力、不気味さといった「見慣れなさ」の感覚を大事にしておいた方がいい、ということでもある。そのために閉ざされた田舎に隔離すればいいというわけではなく、迷彩服や制服ではなく、必要であれば儀礼服に留めるなど非日常さの自覚を絶えず持ち続けるための工夫も必要だろう。
平熱で安全保障を語るための一冊だ。
読書感想文「ハヤブサ消防団」池井戸 潤 (著)
田園と呼べば好印象で、田舎というと避けたくなるか。
田舎だからといって、そこに現代生活が無いわけではなく、むしろ当然にテクノロジーの恩恵があるだけでなく、現代社会の抱える孤独や孤立があり、心の隙間や闇がある。地域の暮らしが周りとの接触や濃密で閉じた人間関係だからゆえ、噂やデマが伝播し、溝は深くなる。しかも厄介なことに、そうした関係は前の前の前の世代から続く時間から引き継がれたものだったりするので、美しい風景の薄皮一枚下にはとんでもないあれやこれやが隠れていたりする。
地域の仕事は、消防団だけでなく統計調査員や保護司、民生委員など、さまざまな仕事がボランタリーで担うことで回っていたりする。人口比で人数が決まるから当たる確率は都市部と変わらなくても、同じ者が複数の役割を担わなくてはならなかったりするから、案外忙しいし、本作にあるように、消防団本来の行事だけでなく、お祭りの駐車場係の動員について、消防団を通じた依頼に応えなくてはならなかったりする。
田舎暮らしの生態を解像度高く描くことを通してミステリーを成立させた一冊、といってイイだろう。田舎ライフエンタメである。
読書感想文「地面師たち」新庄 耕 (著)
みんな病んでいる。
闇の世界でイカサマを働くのも「どうかしている」からだ。「どうかしている」「どうにかなっちゃっている」のは、病んでいると言っていいだろう。
欲や業だ、と言うのかもしれない。だが、果たしてそうか。そうやって「正常」の枠のなかでそいつらを考えようとして、こっちの側の理屈で理解しようとする。だが、「どうかしている」「どうにかなっちゃっている」んだから、どだい無理な話しなのだ。
受容するべきは、意思や感情じゃない。病気だ、という事実だ。「まとも」じゃない相手は関わっちゃいけない。腕のいいプロの出番なのだ。知識と経験を持つ医師や看護師、その他専門の医療チームが病人を相手に医療行為を注ぎ込むように、社会的に治療を要するものたちに素人がいっちょ噛みしちゃいけない。
サイコパスが仕立てる虚構はスリリングでリターンもでかいのだろう。そのことを健全に恐れ、近づいてはいけない。宅建法、不登法、借地借家法、都市計画法、国土利用計画法、区分所有法に刑法や検事訴訟法までやすやすと誦じる詐欺師に、「地面師研修」を受講させられることになる。くわばらくわばら。
読書感想文「2040年 半導体の未来」小柴 満信 (著)
2024年出版のこの本の答え合わせは、終わったのではないだろうか。
今年前半、半導体相場で潤った者とそうではない者の違いがリザルトだ。
小柴さんは、コロナ禍、そしてファーウェイのバックドア問題以降の半導体逼迫のあと、半導体こそ戦略物資であると喝破し、国策に据えるよう尽力された方だ。いま、株屋が半導体に入れ込むのは、半導体需要が今後も増大することが誰の目にも明らかで客に勧めやすくなっているからだ。
もちろん、AIやクラウドサービスの伸長により、半導体重要はこの先も場面場面で調整はあっても、期待に応え推移するのだろう。だが、それは目先の取引であり、本書の肝であるのは技術革新によるムーンショットだ。寝る前から寝言を言ってんじゃねーよ、と叱られそうだが、トライし続けるしかない。それこそが生きる道だ。
小柴さんの考えるムーンショットの狙いを3つを拾っておきたい。(1)デジタル黒字国を目指す。(2)「デジタル自給率」を引き上げる。(3)カーボンニュートラル、サーキュラーエコノミーの実現。これらを実証実験する場を用意し、どんどん試してもらうことなのだそうだ。
小柴さんたちの「成功体験」を持つ世代が、最後の大仕事を果敢に取り組んでいる。かつて、鉄鉱石を採掘し、油田を掘削するために、人海戦術を取るために資本が必要であり、巨大なプラントを組むための資金が必要とされた。鉄は国家であり、油は油断禁物だった。今や、半導体こそ国策であり、レアメタルこそ武器である。
相変わらず、本邦は非資源国家だ。技術を磨き、技能を発揮するテクノロジー国家でなくてもはならない。なぜ、負けたかを常に胸に抱きつつ。
最後に気になったことを付記しておきたい。我が国の悪い癖だと思うのが、「日本発の次世代標準づくり」にこだわり過ぎることだ。VHSしかり、CD、DVDしかり。世界中を向こうにまわし、国内で勝った者がそのまま、デファクトスタンダードだと大見得を切っていたではないか。技術供与するからお手て繋いで仲間になってくださいなどと言って、軒先貸して母屋を取られ続けてきたではないか。小賢しい根回しではなく、アニマルスピリッツを発揮するときではないか。我々も言うべきだろう。ディールだ!と。






