読書感想文「まずはこれ食べて」原田 ひ香 (著)

 21世紀現在の不幸を描く力を持つ,希有な作家-原田ひ香をそう呼びたい。
 2000年を過ぎて20年が経つ。このミレニアム以降,当たり前の日常を語る土台が共有されなくなり,その一方で,あふれかえる情報は,見せびらかしや成功の対価をひけらかす上っ面でしかなく,かえって互いが見えなくなった。そうした現在の「世間」を手触りごと映し出す作品を発表し続けるのが,原田ひ香だ。
 食べものや食事を前面に出してくる,これがイチイチ美味そうで困る。あー,いいな,美味そうだな,となる。でも,これは作品世界に陥れ,そう簡単に逃さないトラップなのだ。スタートアップした会社が軌道に乗り,社食やまかないを用意し始める,まるでNHK「サラメシ」に出てきそうな好事例の一つ一つが人物を浮かび上がらせるための伏線である。
 貧乏,差別,虐待などが突出した時にだけ,センセーショナルな話題となり,普段は閉じた蓋の裏側に潜むーそんな社会に僕らは生きている。恐ろしきは原田ひ香の筆力だ。宮部みゆきを読んで恐怖したあの感覚ではないか。
 「まずは読んでみて」。


まずはこれ食べて

まずはこれ食べて

  • 作者:原田 ひ香
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2019/12/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

読書感想文「甘夏とオリオン」増山 実 (著)

 関西の落語シーンを舞台にした作品である。読んでいて驚いた。江戸の風が吹いているのだ。主人公,最大のキーである師匠,兄弟子,関西落語会の諸先輩たち,これらの関係者の間,心のうちに江戸の人情,風情,粋といった江戸っ子を形作る了見を,登場人物それぞれが宿しているのだ。東西を問わず,落語においては,やはり江戸っ子の了見がベースとなるのか,と考えさせられてしまった。
 懐かしい演芸番組「花王名人劇場」で,桂米朝を見るのが好きだった。米朝には,関西落語を聞いているんだ,という特別な感情は起きなかった。すんなり見ることができた。この「甘夏とオレンジ」はそんなことを思い起こさせる。
 単に落語を通じた若者の成長譚には終わらせないぞ,という著者の強い意気込みがこの作品にはある。それが成功したか。結局,謎は解けなかったわけだから,続編も視野にあるのだとすれば,それを合わせて成否を語ってみたい。伏線をこれだけ広げたのだ,回収しないわけにはいかないだろう。


甘夏とオリオン

甘夏とオリオン

  • 作者:増山 実
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/12/12
  • メディア: 単行本

読書感想文「俺たちはどう生きるか」大竹 まこと (著)

 爺さんの本である。以前であれば,オヤジと呼ばれる人たちが世の中の不条理や自身の情けなさ,みっともなさ,切なさ,恥ずかしさ,つらさなど口から吐き出せない諸々を噛みしめる人たちが持っていた思いを,爺さんになった大竹まことが吐いている。爺さんとは,うんうんと頷いて陽の光に当たっているか,僅かになった同輩とセコい口喧嘩をするのが相場だと思っていたが,時代状況が変化しているらしい。これも高齢化社会というものなのかもしれない。
 大竹まことは,負けてよかった,負けておいてよかったと言う。あのとき,勝っていたら,負けを知っている今の自分はいない。負け続けること,それは遠回りすることだ。簡単に勝ってしまったが故に,負けることで得る経験や感情を手に入れることはない。
 爺さんになった大竹まことは,病いを得た。そして,唖然とさせられる現代社会を思う。過ぎ去った自分の人生を振り返る。未来や目標がなく食うことだけで精一杯の頃を思い返す。
 母音に濁点をつけて発声したくなる,続けて「そうだよね」と言いたくなる。そんな私自身も発見させられる。


俺たちはどう生きるか (集英社新書)

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

読書感想文「熱源」川越 宗一 (著)

 近世サハリン史である。ニヴフウィルタアイヌアイヌはすっかり定着した言葉になったが,見慣れぬ単語が頻出する。しかも戦争がからみつき,時間,場所が複雑になる。しかも,極東情勢だけにとどまらず,ヨーロッパにもつながり,時代が進んでいく。
 テーマの一つは,滅びゆく民。運命づけられたようにのしかかるこの言葉は,同化を押しつける側だけでなく,いくばくかの疑問を挟みながらも,自分たちの中からも発せられる。「いなくなる」とは,人口がゼロになることだけを意味しない。「自分たち」自身を為さしめていたものが途絶えるということだ。生活様式を失ってしまえば,「自分たち」ではなく別な何者かだ。ただ,そうやって各個人は生きてきたんだ,と思う。
 もう一つは,教育だ。ロシアは領土を広げていった先で住民の子どもたちに向けて学校を建てる,とは司馬遼太郎が,中国と比べて語っていたことだが,これを再確認させられる。
 私自身,亡くなった祖母がサハリン引き揚げ者である。この小説も地続きの物語である。そして,「ゴールデンカムイ」とともに読まれることを期待している。


【第162回 直木賞受賞作】熱源

【第162回 直木賞受賞作】熱源

読書感想文「最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常」二宮 敦人 (著)

 キャンパス・ルポルタージュである。ルポルタージュとは,センセーショナルであることが望ましく,こんなにも奇人変人変態がいる,常人からは理解不能だ,と騒ぎ立てるのが正しい。本書もそのようにして宣伝されたし,出版された当初,数多の書評もそうした調子だった。
 遅ればせながら,今回初めてページをめくったのだが,アレ,ちゃんとした人じゃん。何かに夢中になっている人じゃん。夢や目標を持って突き進んでいる人じゃん。アレ,アレレ。奇人変人,出てこないじゃん。がむしゃらな人じゃん。熱い人じゃん。燃えてる人じゃん。
 ものづくりやアート,デザイン,ファッションの世界で生きる人たちってこんなものじゃないかな。後先考えず,目の前にものに全力で傾注する人たちなわけで。
 確かに大学を出た後,アートを生業として「食っていける人」になれるのはごくごく限られた人であろう。ただ,そうしたアートを突き詰めようと七転八倒した経験者を私が人事担当者なら,リクルーティングするけどね。異能異才が次の時代を作るんでしょ?
 次に,著者には,料理,理美容,福祉の専門学校を訪ねてもらいたいもんです。


最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常 (新潮文庫)

最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常 (新潮文庫)

  • 作者:二宮 敦人
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/03/28
  • メディア: 文庫

読書感想文「お寺の掲示板」江田智昭 (著)

 ときにドキッと人を刺すような言葉を掲げるお寺のアレのことだ。「お寺の掲示板」を全国から集め連載された企画モノではあるが,さすが選り抜きである。一つ一つが面白い。手練れの住職の決め台詞のような一言もあれば,実直な言葉,有名人のセリフの引用もある。
 掲示板を使って,万人に晒す言葉だ。その通りすがりの一瞬でハートを掴まなくてはならないから,1対1の対面でモノを言うのとは違う。瞬間に引っかけアレっと思わせた後,口の中で2,3度,繰り返させて,ジワジワと余韻を味わせる。そんな染みる言葉たちが並ぶ。
 掲示板が伝えるのは,「自分自身の愚かしさを含む,こんな程度の己を自覚せよ」であり,「いまを,今日を,全力で生きろ」である。それは,お釈迦様や阿弥陀様が,張り扇で釈台や机の上をバンバンと叩き,「目を覚ませ!」,「何しとんじゃ」と壁と文字を使って,シャウトしているようだ。
 お寺の掲示板,侮るなかれ。


お寺の掲示板

お寺の掲示板

  • 作者:江田智昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

読書感想文「1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え」エリック・シュミット (著), ジョナサン・ローゼンバーグ (著)ほか

 金曜の午後は,職場の連中を連れ立ってバーへ繰り出しパーティをする。日ごろ,絶えず,部下本人の様子を気に掛けるばかりか,部下の家族に何かあれば部下の尻をたたいてでも家族のもとへ向かえと言い,職場の定例ミーティングの冒頭には,週末をどう過ごしたか,旅行へ出かけたなら,その報告をさせる。そんな人間関係重視の職場運営。昭和の時代に絶滅した,と思われていた家族主義的な暖かな職場運営。そんな昭和の時代の面倒見のいいオジサンが,実はシリコンバレーでトップリーダー達の相手をしていた!という驚きの事実。彼の地は新自由主義成果主義の大競争!じゃなかったのかよ!何なんだよ,と思わせる。最新の組織心理学の研究成果からも人材管理とチームコーチングの重要性が明らかにされているという。
 ごの伝説のコーチとは,ビル・キャンベル。1兆ドルとは,ビルが関わったGAFAを含むシリコンバレーの企業群の企業価値の象徴である。
 私は,当分,この本を手放せない。