2024-01-01から1年間の記事一覧
ダイバーシティ。インクルージョン。いや、エンパワーメントか。 障害を持った者への罵りを、時代小説という舞台を借りて日の当たる場所へ曝け出してみせた。実は、そうした者の誰もが好き好んで腐そうとしているわけでは無い。自分の身の振り方を案じて「使…
言語学最前線である。 言葉は変化するとはよく言われるし、実際、変化が起こるのは、発する言葉の伝達速度アップと効率化の欲求の表れであったといえそうだ。社会集団が安定化し、閉じた関係性の中で意思や意味を伝えるようになると、省略と省エネが起きる。…
とびきりハードで不寛容で未成熟な若くリベラルなアメリカでのおとぎ話だ。 女はいつも戦っている。負け戦であってもだ。だから、ページをめくるのは重くつらい。従順で健気で素直な「女の子」であることを当然に「定形」として求め・求められるという社会規…
江戸の名手である。 とくに町人、悪所を書かせたとき、この人の右に出る者は何人いるだろうか。まるで、暖簾の向こうで見てきたようまちの風情を描く。たいした筆力だ。ただただ恐れ入る。 大団円を迎えるまで、地味なシーンに時間を掛ける。それには理由が…
人格の形成とはいつ成されるのだろうか。 持って生まれた性格や才能、能力が揃い「その人」らしさが形づくられ、他からもそう認識されるのはいつなんだろうか。何を言いたいのかと言えば、続刊であるこの本にもおいても、成瀬あかりはあいも変わらず天然・自…
なぜ、サブカル批評、現代文化論の宇野は、政治や地域社会を論ずる本を作り続けるのか。 この本は、2011年の東日本大震災、2020年前後の新型コロナウィルス感染症の社会経済情勢の受け、東京や地方の「まちづくり」を考えたものだ。もっとも、下敷きとして19…
岩尾は言う「なぜお前は自分自身をマネジメントできないのか」。そればかりではない。「なぜお前たちは、いつまでも手段と目的をとっ散らかっているのか」と呆れているのだ。 しかしだ。あなたがいま求めているものは、目的ではなく手段ではないのか?と問わ…
事務とは、手続きであり、プロトコルであり、フォーマットであり、プロセスであり、契約であり、説明責任であり、会計であり、ブロックチェーンである。要は、「正しさ」を求める一連の行為である。 この一連の行為において我々は「正常」でなければならず、…
痛快・天空人ゲームバトルである。 ゲームの要素とは、遊戯性と射幸性、そして全てのプレイヤーを制するルールである。なので勝負を分けるのは、ルールのハックである。とは言えである。できるのか?易々と勝ち負けを分ける勘所を読み切り、対戦相手の手と判…
仕事と居場所と感情の話しだ。 働くことに伴って少なからず、感情のやり取りが発生する。それは達成感や感謝を向けられることといった正の面もあるし、ただただ疲弊したり夢中になってしまうあまり前後が見えなくなる負の面もある。 もっとも、煩わしいだけ…
子ども向けのテレビ特撮ヒーロー番組の放送時間は、なぜ30分なのか。 子どもの集中力の持続時間の長さでもあるように思うが、実は違うだろう。一話で子どもをテレビの前に釘付けさせ続ける制作者側の力量の問題でもあるし、実は、視聴者である子どもは保護者…
気骨と使命感を帯びた記者の歩みだ。まるで講談ものに出てくる仇討ちの浪人のようではないか。 物事を「終わったことにしたい」「面倒なことは避けたい」という勢力は確実に存在する。そのことを指摘したり、迂闊に本質を追求すると逆上したり逆襲を受けたり…
死とは忌もの、禁忌である。日常生活からは憚られる。なので、通常の日常原理とは違う物差しで物事が動く。「身内に不幸が」と言えば、「そりゃ、しゃーない」となる。 身内すなわちプライベートな冠婚葬祭として、これまで家族単位で死が扱われてきたものが…
ビジネスをどう作るか。 つまるところ、どんな価値を提供するかに尽きるのだが、穐田は自分の目で見て、自分の頭で考え、実行してみせる。当たり前のようだが、案外できていないものだ。なぜか。人の風説や評判、友人・知人の話しを信用してコロっと落ちる。…
オネスティーとは何か。 ただただ「気の毒」である。あきらかにオカシイと誰からも突っ込まれてしまうことを報告書にまとめ、そのことを聞かれても「わかんない」と答えるのだ。なぜ、そんな木偶の坊が出来上がってしまうのか。安きに流れてしまっているのだ…
組織と個である。 なぜ、組織の中での個性が問題になるのか。その前に組織の中には、なぜか変な人がいる。運が良ければ、頭角を現すし、燻ったまま引退することもある。語り出すと止まらない変な人がいて、その光り輝く美点が組織の中で目に止まれば、その変…