読書感想文「世界は経営でできている」岩尾 俊兵 (著)

 岩尾は言う「なぜお前は自分自身をマネジメントできないのか」。そればかりではない。「なぜお前たちは、いつまでも手段と目的をとっ散らかっているのか」と呆れているのだ。
 しかしだ。あなたがいま求めているものは、目的ではなく手段ではないのか?と問われ、「そうかも、手段かも」と思ってみたところで、では本来の目的って?深掘りした目的は見つかるの?との疑問が沸いてくるのではないか。んー、酒が飲みたいのは、酔っぱらいたいからなのか?酔って騒ぎたいのか?酔って騒ぐ仲間と一体感を感じたいのか?酔って騒げる仲間との距離感を再確認したいのか?酔って騒げる仲間たちと騒ぐ自分がいられる場所があることを確認して安心したいのか?昼間の嫌なこと、煩わしいことから少しの時間でも距離を置きたいのか?酒を飲んだところで、ひと時の酩酊気分で紛れるのか?酔いから覚めた後、飲まなきゃよかったと後悔することにならないか?後悔するなら、後悔することが予想されるなら、そもそもなぜ酒を飲むのだ?いや、後悔するけど飲みたいって何なのだ?それどころか、飲んでしまった後、もう酒は止めると口にするのは何回目なのだ?ところで、酒は飲みたいのか?飲酒は経営でできているのか。アレ?えーっと、酒は手段だったっけ。
 明石家さんまが「幸せって 何だっけ 何だっけ~♪」と言ってからもうすぐ40年になる。この問いに答えを出せないまま、日本人は時間を過ごした。その程度に僕らは凡百である。誰もが自分の人生をマネジメントできないのは、目的を明確化できるほど明晰ではなく、自己を顧みて合目的的に行動できることほど理性的ではないからだ。それほどに煩悩に支配されているし、強烈な意志を持ち得ていないのだ。
 目移りするように、アレも食いたいコレも食いたいとそのときの食欲のまま食うのではなく、本当に美味いものを不自由なく食いたいときに食えるように、金を稼ぎ禁欲的に日々を過ごすことなのだ。それが正しさだ。ホントの目的?究極の目的?この問いの重さに耐えられるだろうか。正しさに窒息したりしないだろうか。