読書感想文「まいまいつぶろ」村木 嵐 (著)

 ダイバーシティインクルージョン。いや、エンパワーメントか。
 障害を持った者への罵りを、時代小説という舞台を借りて日の当たる場所へ曝け出してみせた。実は、そうした者の誰もが好き好んで腐そうとしているわけでは無い。自分の身の振り方を案じて「使い物にならぬ」、「役に立たぬ」と攻撃するのだ。それほどまでに、人は弱い。
 己を消して身を尽くした結果、かえって気持ち悪がられて疎まれて受けてしまう攻撃とは、理不尽さを堪える聖職者か敬虔な信者に対する卑劣さそのものである。
 そうした「尽くす」態度で表されるのは、ドン引きされてしまってもおかしくない「美しい」関係のファンタジーであり、あえて「美しさ」の箱に入れてでも、機が熟すことを待つ、急いて結論を求めない、そうした時間を掛けて待つということが判断する際には大事でもあるのだ、と描きたかったということなのだろう。それとともに豊穣な内面は誰もが持っているということもだ。
 「手妻」を使うような者の登場は、世の中を変えてしまうこともある。そのとき、手妻遣いは己を律することを心せよ、ということでもある。