読書感想文「仕事にしばられない生き方」ヤマザキ マリ (著)

 2019年版の最新のマリ伝である。当然,いまのマリの視点から人生を省みている。息子デルスがハワイ大学を卒業する,この区切りのついたタイミングでの一冊と言えば,通底するものが伝わるだろうか。生業としてではなく,食いつなぐためにサバイバルしてきたマリ。
 そんないつものマリ節ではあるもの新たな話もあった。それは,キューバ。疲弊する一方のイタリア時代にあって,より貧しいはずの現地で幸せを発見する。大地とともに暮らす人々,そして喜び,悲しみを分かち合い,踊る人々。そんなゴーギャンのような「発見」をし,孕んだ場所。今後,キューバはより詳しく書かれるのではないだろうか。
 その一方で,リスボンの記憶は美化されている。あれだけ愚痴ってたのにな,とも思う。
 自分の経験や知識をもとにやりたい仕事を自分の生業やミッションだ,と感じながら邁進できる環境を得,ますます魔女になるマリの一方で,ただただ優しく,研究者生活を送っていたはずの夫ペッピーノの人生とは?どんな爺さんになれるのか?といらぬ思いが湧き上がる。少し気の毒だな,と。



読書感想文「八本目の槍」今村 翔吾 (著)

 世に響いた「賤が岳の七本槍」それぞれを描く短編集。同級生,同期入社組の関係である。いつまでも,当時の話しで盛り上がれる互いの関係を持ちながらも,三成の死をそれぞれが解きほぐす。七本槍と三成と経済の組み合わせを一冊の本とした著者のアイディア勝ちである。
 財政と金融の実務官僚として,その仕組みを握ってしまった三成。兵站の供給だけでなく,戦争を止めるのは財政であると,その本質を見抜ぬく三成のヴィジョンが明かされるが,モダンすぎる考えを本人に喋らせることで,読者に三成を近づける著書の策略だ。
 飛び抜けた才覚を持つ同期が,先に会社を去った話しとして読んでもいいだろう。同様に出世した者,大して伸びなかった者,トップの後継者のサポート役になった者,ライバル社へ移った者,みんなそれぞれの立場は異なれど,才覚を持ちながら,先に去った同期のアイディアが,その後の業界を10年揺さぶり続ける。そんな「会社もの」としても楽しめる一冊だ。


八本目の槍

八本目の槍

読書感想文「ランチ酒 おかわり日和」原田ひ香 (著)

 その後が気になっていた話しを読むことができた。娘と別れて暮らす見守り屋の祥子が主人公の続編である。時間というものは,人を一つの状態に留め置かない。祥子と関わる顧客らとの関係が,それまでの「見守る」ことから,はみ出してしまう。それは彼女と,娘や元夫との関係も同様で,彼らの今を尊重しようと思うばかりに,自分の気持ちを押しとどめていたものが,アウトプットを始める。そうして自分と娘,自分と顧客たちの関係が随分と進展する。
 時間で区切られた仕事の終わりに,厄除けのように飲んでいた酒が,単に時間の切り売りではなく,課題解決をするようになることで,この先,酒の意味が変わっていくのではないだろうか。それは,見守り屋業との決別も含む選択でもあり,この見守り屋業によって培われた濃密な人間関係が祥子の人生を確実に動かすだろう。
 次巻は,踏み出してしまったが故に,いくつもの決断がやってくる。その瞬間を読める日を楽しみに待っている。


ランチ酒 おかわり日和

ランチ酒 おかわり日和

読書感想文「稽古の思想」西平 直 (著)

 お稽古について,正面から答えを出していこうとする著者の企図である。「稽古はそのつど本番である」。あぁ,これを言ってくれてスッキリしましたよ。対比される練習とは,「本舞台(試合)を目指した事前準備である」。稽古が重たいのは,本番だから。稽古とは,試験会場に向かうことだ,と思うことにした私は間違ってなかった。
 「固くならないで」,「力が入りすぎている」と言われることについては,「力を抜く」とは,まず一度「力を入れ」,その後で「力を抜く」という動作である,と言われる。はーっ,そーだったのかー!そーだよねー?!それじゃなきゃ,力を抜いたことが伝わんないもんね。「あらかじめ力が入っていないと「力を抜く」動きは始まらない。最初から「力を抜く」ことはできないのである」。「力を抜く」アクションを見せるために,「ある」と「ない」の差をどう見せるか?なのだ。
 稽古とは,修行とは,師とは,身体とは,「見えるもの-見えないもの」とは。こつん,こつんとバットにボールを当てるように,なかなか,言葉にして教えてくれないことを,知恵として伝えてくれる貴重な一冊。「稽古ってやつは?!」と思ったことのある方は,必読である。


稽古の思想

稽古の思想

読書感想文「ある男」平野啓一郎

 変身である。能面をつけること,仮面ライダーがポーズを取ること,遠山の金さんが着けた裃を脱ぐことなど,何者かになった後,その何者かであることを理由に「力」を発揮する。このとき,A→Bなのか?という疑問がついて回る。A→A′ は本質的にはAなのであって,決して,そもそも異なるBになったわけではないのではないか?という疑問なのだ。それは,A→A′ →Aと,なすことをすませると戻ることからもわかる。
 ある男とは,変身したまま死んでしまったことで,元に戻れなかった,いや,変身の物語を回収できなくなった男の物語である。たまたま,面の紐,ライダースーツの背中のファスナー,旗本ことばが,バレずにスタートした家族の生活を3年9ヶ月を過ごせただけであって,やがて,コスプレや着ぐるみへの着替えの途中を見られてしまうような見っともなさを,迂闊にも見せてしまうのが家族だからだ。
 そうした,A′ ではなく,あたかもBであったような幸せな時間を,読者は確認するのだ。


ある男

ある男

読書感想文「本所おけら長屋」畠山 健二 (著)

 毒にも薬にもならない,ただただ眺めていられる話しがある。最近の時代劇だと,NHK「小吉の女房」,「大富豪同心」なんかがそう。安心して眺めていられる。この本もそんな一冊。
 下町の長屋が常に舞台。通りを面した12世帯と大家が繰り広げる短編集なのだが,決まって飛び出した案件を,そっと片付ける役が,浪人・島田鉄斎。このお侍さんが,格好いい。問題は必ず解決する。しかし,大家をはじめ,その活躍を知る人はごく僅か。分をわきまえつつ,出しゃばることもない鉄斎。いいねぇ。
 下町を生きる庶民の粋や心意気,そして了見を味わうことのできる本所おけら長屋。それぞれの短編では,会話が主なのでスイスイと進む一方で,情報量は多いから,じっくりと楽しめる。
 シリーズ最新号が13巻。何を読もうか,と思った時に「おけら長屋」があったなと思い出せば,いつでも気楽にお江戸の世界へと飛び立てる。そう安心させてくれるシリーズの1冊目。この後,じっくり楽しませてもらえるな,の期待感である。


本所おけら長屋 (PHP文芸文庫)

本所おけら長屋 (PHP文芸文庫)

読書感想文「ランチ酒」 原田ひ香 (著)

 乾き,かさついた主人公・祥子をとりまく事態が,日々,新たに起きる。そんな中,みずみずしさを現すのが,夜勤明けのランチ(夕食か?)と酒,そして別れて暮らす娘だ。
 それぞれの食事のシーンでは,まばゆい位に食事に日が当たる。そして気がつけば,注文してしまうランチ酒。昼酒とは,カタギが飲まないものである。その罪悪感と優越感が,祥子を際立たせる。自由さ,とも言えるが,ドロップアウトである。この寄る辺なさ,不安さが2010年代の心情ではないか。だからこそ,「見守り屋」という商売,すなわち「レンタル何もしない人」のような,そこにいてあげるだけの需要を浮かび上がらせるし,夜が明けた後の食事に酒が必要と
なるのだろう。
 テレビドラマ化,待ったなしだ。食事のシーンが重要だと言っても,「孤独のグルメ」や「極道めし」のようなコミカルな演出はいらない。しっかりとした描写には,もはや,地上波は難しいか。WOWOWNetflixになってしまうのだろうか。主演は,市川実日子を推したい声もある。確かに酒や食事のシーンにはいいな。井川遥,大塚寧々だと,どうだろうか,とも思う。
 食事や食そのものの持つ力とはスゴいな,と再認識するし,祥子の行方も気になる。次回作を待っている。そうそう,呑みたくなるよ,この本。


ランチ酒

ランチ酒