本日をもって「吏員」の呼称使用終わる

 地方自治法の一部を改正する法律の施行により「吏員制度の廃止」となるため,本日をもって吏員とその他の職員の区分を廃止され(第百七十二条第一項関係),事務吏員及び技術吏員の区分が廃止される(第百七十三条関係)。今後は,一律に「職員」となる。
 これについて,富士宮市長が昨年8月に次のとおり,語っている。

吏員制度を廃止し、「職員」への一本化。すなわち、事務吏員でも技術吏員でもなく、職員という名称に変わること。私流に解釈すると、官吏というお上意識は名実共に失くすということ。


今月の市長談話(平成18年8月)

■定例部課長会
と き 平成18年8月1日(火)午前8時30分〜
ところ 富士宮市役所7階710会議室

確かに,、明治憲法時代の官吏制度に由来する「吏員その他の職員」の区分が規定されているため,これを改めることとなるが,「官吏」「吏員」という呼称が役人意識と直結するものだ,との指摘は,あらためて考えさせられる。これには,地方自治制度の弾力化により,地方の自主性・自律性を拡大させようとの意図が込められている。

 ここで,思い出すのが,


人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)


 読んでいて,本当に切なくなる。
 新進気鋭の青年社長・星が,官庁や旧体制の策謀やいやがらせにより,地位も財産も失う様を描いたものだ。

 局長も課長も,星の顔を見て話しを聞かされているうちに,毒気をすわされたようにいらいらしてくる。なぜこうなるのかと考え,原因に漠然と気づく。官庁の地位というものは,民間より一段と上にあり,強固でゆらぐことは絶対にないはずなのだ。それなのに,星と会っていると,波に浮いた板の上にすわっているような,こわれやすい椅子にすわっているような,頼りない気分になってくる。こんなことはいままでなかったのに。


「人民は弱し官吏は強し」星新一


 痛い。IT企業の隆盛やファンド,「国策捜査」など,最近の話題がいくつも頭をよぎる。大正期の話しのはずなのに,主人公や会社の名前を入れ替えるだけで,現在風にリフォーム可能な小説だ。それだけに,日本は変わっていないままなのか,つい思ってしまう。