地震に強いということ


 国内某所が,「地盤も固く、地震には強い」と聞かされる。

 なるほど,そうかも知れないし,きっと,そうなんだろう。だが,そこが北米プレートとユーラシアプレートの境界から外れたわけではないのだろうし,地震のメカニズムがこれまでとは全く異なる理論が確立されたのでもないだろう。日本国内において「地震が少ない」というのは,せいぜい程度の問題であり,いま,生きている人間の記憶のスパンで判断しているに過ぎない話しだ。

 「強い」のか,強くないのかということより,地震を避けうるものではないとして,

 全壊を免れはしたものの、実に多くの家屋がダメージを受けてしまった。被害を防ぐためには、家屋を耐震補強する必要があるのだが、実際には遅々として進まない。

 内閣府が2004年に行った調査によると、耐震化が進まない主な理由は次の5点である。

  (1)耐震改修工事に費用を払えない、払いたくない。
  (2)改修工事に伴う手間や、一時的な引越がわずらわしい。
  (3)どこのだれに相談すればいいか分からない。
  (4)地元の工務店などに相談しても、的確な対応をしてくれない。
  (5)高齢者世帯なので、長期的な安全性の必要を感じない。


災害時の「死者方程式」が訴える切ない現実


の点で,耐震化が進んでいることが「地震に強いということ」だ。つまり,


  (1)耐震改修工事の費用の助成や,助成等の各種支援の周知
  (2)改修工事に伴う手間や、一時的な引越の手続き支援サービス
  (3)「耐震化相談」窓口の設置
  (4)地元の工務店などで対応がとれるよう講習会や技術指導
  (5)長期的な安全性の確保が全ての世帯に必要なことの啓蒙・普及


を,政策パッケージとして展開していて,はじめて公に「ウチの地域は地震に強い」と言えるきっかけになるし,そもそも災害対応の基本である「自助・共助・公助」が地域に備わっているかがよほど大事だ。嗚呼。「地震に強い」が流言の流布とならんことを願うばかりだ。流言ではなく妄言かもしれんが。

 そして,この「死者方程式」がいう弱者に,きちんと向き合う気があるのかが問われる。

同じ街に古い建築物があり、それが倒壊してしまったり、あるいは古い構造のライフラインが破損したりすれば、ガス漏れの恐れがあるからガスは止めたままにしなければならないし、電気も火事の原因になるので、すぐには復旧できない。水道もすべての出口を閉じられる状態になるまで流せない。結局、自分の家がまったく損傷がなくても、ガス、電気、水が来ないためそこでは生活できない状態になる。このことを認識している人はどれくらいいるだろうか。
(略)

 災害は弱点(あるいは弱者)を襲う、とよく言われるが、「弱点を持つ社会」自体が弱い存在なのだ。格差などはいくらあっても良いが、弱点を作らないことこそ、社会が求めるべき力だと思う。


MORI LOG ACADEMY:防災能力


「強さ」とは,最悪に伴う「弱さ」を見つめる力だ。