「無知ってのは…」と先生はため息をついたが。

「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい」。明治時代の偉大な物理学者、寺田寅彦が残したこの言葉の意味を、食品偽装や残留農薬など食の問題に右往左往する我々日本人は、じっくりと噛みしめるべき時に来ているのではないか。


人々が実態以上に食の恐怖におびえている不幸 - TOPICS - 日経レストラン ONLINE


 私が学生のとき,卒論の担当教官は若いハットリ先生だった。年が近いせいもあっておバカな僕らと厳しさとともに気さくにつき合ってくれた。ちょうど,その当時,酸性洗剤と塩素系洗剤を混ぜて塩素ガスが発生,トイレや風呂で死亡するという事故が何件か続いた。のちに「混ぜるな危険!」の表記のきっかけとなった事故だ。そのとき,ハットリ先生が「無知というのは怖いよなー」と言った。そりゃ,僕らは化学専攻だから,強酸+強アルカリ=ガス大発生!くらい知ってて当然だし,中学生でも理屈はわかるわなー,なんだけど,世間一般に向って,「無知」と言っちゃっていいものか,少し疑問があった。

農薬や添加物のような化学物質の場合、それが毒物になるかならないかはその量によって決まることが理解できていないから、と寺田先生は指摘するだろう。分かりやすい例で言うと、食塩は人間が生きていく上で不可欠なものだが、取り過ぎると高血圧になるのは周知の事実。さらに極度に取れば、死にも至る。

コンビニが「保存料不使用」をうたって、添加物を怖がる消費者の支持を受けているが、保存料の代表選手、ソルビン酸カリウムも、塩分と同様に毒になるかは量によって決まる。しかも、毒性を表す数値は食塩よりひどくない。


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 便所掃除や風呂掃除に使う洗剤の「量」よりも,こっちの洗剤で落ちなかったから,じゃあ,こっちでどうじゃ!といくつも使ってしまうことに問題がある。石鹸や洗剤はふだん使い慣れているが故に,どんどんイケイケでゴシゴシいってしまう。言わば,「人々が実態以上に洗剤の安全になれてしまっている不幸」となろうか。
 無知は確かに怖い。量の程度の問題より物質の使用の有無にこだわりが,やみくもな恐怖のもとにあると言える。知らんものわからんものは,全部,怖い,でいいわけがない。だが,その一方で,理屈をわかりやすく「混ぜるな危険!」の表記に類する工夫も求められる。
 世の中は複雑になるばかりだ。だからと言って知ることを面倒くさがり,その嫌なことには全て耳を塞いでしまうわけにはいかないだろうし,知ってもらうための努力を怠ることも決して褒められた態度ではない。