もう「犬を怒る」ことは無いな


 飼っている犬が,椎間板ヘルニアと診断された。歩けなくなったのだ。その日の前の晩,後ろ左足を引きずって,二足歩行だとケンケンをするように,前2本と後ろ1本でスキップをするような変な歩き方をしていた。それが,後ろ足が両方とも力が入らなくなり,下半身を支えることすらできずお尻があがらない。そればかりか,後ろ足が両方ともクニャッと開き,まるでダメだった。
 もう,慌てるだけ慌てて,病院へ行く。動物病院へ行ったのは初めてだったので勝手がわからないので,落ち着かないったらありゃしない。診察室に呼ばれ,歩けなくなった経過,餌も食べていないこと,便も尿もしていないことを伝える。獣医は,回復の目処が立たないとどうなるかを説明する。尿を自力で出すことが出来なければ,腎不全になって死ぬのだ,という。以前にも,「ウチの犬は目が見えない」と書いたとおりに,視覚が不自由な上に歩行,食事,排泄が困難な状態に陥った。しかも,老いて衰えたわけではなく,昨日まで,いや,今現在だって十分な元気な状態から死に至ることを受入れよ,と言う。そして,手術やそのための転院が必要となることなど説明を受けた後,症状の確認と治療のため,半日預け,夕方迎えに行くこととなった。
 悲観に暮れる日中を過ごす。ただただ可哀想だ,と思う。病院を出てすぐのコンビニの駐車場にクルマを停め,泣いた。駐車場か広すぎだ。
 午後6時過ぎに,とのことだったので迎えに行くと,少し元気そうに見えた。点滴をしたので,調子が良くなったのかもしれない。レントゲン写真で判別のつくほどの損傷は見えず,当分,この治療で様子をみることにし,翌日以降も同様の治療を続けることにした。
 比較的遅くまでやっている病院のため,翌日は早めに自宅へ帰ると,歩けない下半身を引きずって,家中に嘔吐と下痢,尿をまき散らしていた。途方に暮れたが診察時間に間に合わせることを優先し,家を出た。治療が終え家に戻る。あきれるほどの量の汚物。どこから手をつけようかと,判断に迷う。大物から手をつけようか,確実に終わらせる達成感を感じながらやろうか,と。不思議と怒りがわいてこない。もちろん,嬉しいとも思わないが,蔑みやあきらめではないのだ。嘔吐,下痢や尿は,出てしまうよな,とありのままを受入れている自分がいる。そのことに気づくと,自分自身ちょっと驚いた。これまで,犬のトイレで,用を足さなければ,私は怒った。納得がいかないし,バカだと思ったし,時として何でだ!と烈火とともに怒った。床を拭いている私に,それがない。カワイイから?そうじゃないな。犬って相変わらず,面倒だな,と思う。犬ー人間の関係を一々持ち出されて,そのポジション当てはめられるはこれまでと変わらず苦手なままだ。お腹の調子も悪くなった犬は下痢や嘔吐を繰り返す。その度に,シャワーをする。その度に,私の夕食は遠のく。でも,まぁ,しょうがないよね。
 結局,ずいぶんと時間がかかって掃除を終え,ずいぶんと遅くに食事をした。心配なので,犬のとなりにも寝た。
 点滴の中のステロイドの比率が,犬の回復具合に合わせて減るようになると,下痢も嘔吐もなくなった。頻尿気味の犬だったけど,尿の回数も減ったように見える。その分,一回の量は増えたみたいだけど。「絶対安静」と申し渡されていたので,食事と排泄以外は横になっていた。ただ,引きずっていただけの下半身が,お尻が少しあがるようになり,ヨロヨロしながらも6〜7歩なら歩けたり,背中を丸めながらも腰の位置が高く持ち上がったりと,目に見えて回復した。回復の様子に安堵はすれど,感動はしない。よかったなー,としみじみ思う。興奮はしない。
 約2週間が経過しようとしている今,駆け足気味にはなるけど走れはしない。はしゃいで後ろ足2本で立ち上がることなんて,とても考えられない。ましてソファの上にジャンプすることなんて,まだまだ想像できない。ただ彼女の最低限の生活はなんとかこなせるだけの回復は果たした。犬に詳しい人は歩いている様子で気づくかもしれない程度に回復したと思う。彼女自身は思うようにならない体の不便さは感じているままなのだと思う。
 私は,彼女を哀れんではいない。しかし,排泄物が犬用のトイレを外したりしても怒りがこみあがらないのは,あれ以来ずっとそのままだ。そういうこともあるよね,と思う。私の内側に起きた化学変化は,怒りの回路が抜け落ちたようにあるがままを受入れることを定着させた。そして,彼女に時間を割かれることが,前ほど嫌ではなくなった。
 わからない,わからないことではあるけども,もう「犬を怒る」ことは無いな,と思うのだ。だって,怒ったって仕方ないんだもの。