「ふむふむ,フーン」と読み進めるうちに暗い気分にさせられた。犯罪者まがいのクレーマーという存在の邪さが横行する社会とはいったい何なのだろう,と。
そもそも,こいつら(もう,そう呼ばせてくれ)というのは,
「クレーマー」とは,企業・医院・行政その他において,必要でない顧客を指します。
p.15 「となりのクレーマー」 関根 眞一
なにやらスッキリさせられてしまうが,顧客は顧客なのだ。それが必要でないというだけで。では,著者がいうクレーマーの種類をみると,
- 快楽として「困らせよう」としている人
- 大きく常識を逸脱し,度を超えて意見をする人
- 詐欺行為に近い行動で金品を求める人
これらには「徹底した対抗が必要」なのだが,それには経験と知識が必要になる。著者はそれを「人間学」などと言うが,果たしてそうなのか。あきらかな強欲とコミュニケーションの遮断,とりわけ,自分だけが正しく,自分の思うとおりでなくては関係するもの全てを許すことができない切迫と緊張におかれている不幸な存在がクレーマーなのだと思う。愉快犯やヤクザまがいの詐欺師もいるだろうが,それが人口当たりの比率で特別に増えているとは思えない(「活躍」の場や機会が増えていることはあるのかもしれないが)。モノゴトを得るための面倒さや不便さ,煩わしさの無いお手軽な社会に,少しばかり思うようにならないことで,優しくしてくれる相手にココゾとばかり,感情を爆発させ,あきらかな無理難題を吹っかける。まったくの自分さえよければ,それでよし(!)な社会ということなのだ。あーあ。
そうした思い上がり,つけあがり,甘ったれが原因だが,それが高じると邪悪さに通じてしまう。それほどまでに僕らはひ弱で,低きに流される存在なのだ。だから,絶えず自分を高めようとする心がけが必要なのだ。そうしないと,クレーマーというダークサイドに落ちてしまう。社会が優しく誰しもの話しに耳を傾けてくれる環境(「窓口」ね)があるだけに,たやすく「ダメな人」になってしまう危険に満ちている。
人は誰しも弱く,ちっぽけで,さびしい。そうした当たり前のことが当たり前に受入れていないために,ちょっとばかしいきり立ち声に怒号が混じる相手の立場になってものを考えることができない。本来,その相手が生む利益も見えなくなる。著者が勤務した百貨店において苦情処理のゴールとは,
「お客様を離さないこと」だと私は考えています。苦情を解決するだけではいけないし,お客様の満足感を向上させるだけでもいけない。再び来店いただいて,初めて成功となるわけです。
p.158 「となりのクレーマー」 関根 眞一
クレーマーは邪悪だし,その邪悪を排除するために決然とすべきだ。だが,そうしたわかりあえない不幸な存在を産み出した,貧弱な社会の土壌を形づくっているのは,われわれ一人一人だということも忘れてはいけない。苦情の分析や対応も必要だが,一部のクレーマーを含む「お客様」に今後,どうあってもらうことで成功となるか,それをそれぞれの立場で考え抜かなくてはならない。
となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術 (中公新書ラクレ)
- 作者: 関根眞一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 新書
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