養老猛司のナマ講演を聞いたよ


 演題は「私の考える地域と病院のあり方」。もちろん,そんなテーマにお行儀よく乗っかる講師じゃない。最後には巧くつじつまを合わせるが,のっけから「私はここ10年で病院に通ったのは,1度きりです。病院なんて行きません」とおっしゃる。以下,講演で印象に残った部分をメモ。当然,文責は私。


医師不足:医者にいつ,どうかかるか。
 病気というのは人生における「危機」。危機管理について,今はいろいろと語られるが,昔はどうしたかと言えば,「覚悟」するということ。医療における問題とは,医者の問題ではない。医者はプロなので来院すれば診る。患者側の問題であり,家族がどう考えるか,ということ。たとえば,末期医療(におけるトラブル)。医者に要求する限度は通り過ぎた。医者にかかりすぎないようにする市民運動に注目している。つまり,医者の側にとってはかかり過ぎが問題。これについては市民の常識に頼るしかない。そして,本当に困った時は医者を丸ごと信用するしかない。「運」だと思わなきゃしょうがない。


・老人医療
 福祉施設を兼ねていた。男性を日常生活に参加させることで,運動を促す。これが男性と女性とで大きく開いた寿命差を縮めることになる。また,現在の長寿命とは大正8〜9年の後藤新平東京市長による水道水の消毒によるものであり,社会状況,インフラによってもたらされたものである。決して,医者のおかげではない。こうした結果に,ソフト面がついていっていない。高齢者の生きがい,やることをつくることだ。そうしなければ,グチの連続となる。年寄りが,働くことであり,人の役に立ちことだ。そうした社会システムの構築こそが重要。


市民社会
 京都のような古くからある地縁社会においては,しがらみやしきたりが面倒なものだが,長い間知っている中というのは,保険をかけているに等しい。信用が既に構築されている関係にある。そうした社会における病院は,知っているが故に任せられる存在としての医者である。



 将来,自分の死ぬ時期は誰もわからないのに,「ああすれば,こうなる」にとらわれ過ぎている−といったことも含め,冒頭から,養老ワールドにグイっと引き込んだ後は,講演前段でのフリをきちんと回収しながら,進めていく展開にさすがだねー,と思わされましたね。
 ブック・オフで買って放ったらかしにしていた「バカの壁」を読み直してみることにします。


バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)