この物語はきっと映画にするとイイ。「だれも書かないような『誘拐事件』」


 カニグズバーグの「クローディアの秘密」と並んで河合隼雄が薦めていた家出の児童文学「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭著を読んだ。クローディアの感想については,すでに書いた。-> 「秘密」とは - kazgeo::10%ダイエット
 「もしもし,こちらオオカミ」の主人公・カックン(女の子なのだ)は家出をする。クローディアと同様に頭のいい子だ。悩みに悩んで精神的にダウンして,というわけじゃない。たまたま決心をしてしまったのだ。綿密な家出計画があったわけではないが,当面やり過ごすための手持ちのお金は持って出る。

 おっちゃんは,考え考えいった。なんだか,さっきまでのおっちゃんとは違う人のように見えた。
 電話ボックスの外に出たとき,カックンはどきんとした。


p.94 「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭


ええ,私もどきんとしましたよ。どうなっちゃうんだろう。とうとう,おっちゃんが大人の本性あらわしちゃうんだろうか,それとも,ついにおっちゃんがダークサイドに堕ちてしまって悪の道へと進んでしまうのだろうか。ドキドキ。
 ただ,賢明な読者はここで気づくべきなのだ。おっちゃんは,「考え考え」言ったのだ。あの頼りにならないおっちゃんが,である。このあとのおっちゃっとカックンの会話の結果,

おっちゃんのその言葉は,魔法の馬車を,もとのカボチャにもどしてしまう呪文のように思えた。


p.97 「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭


そう,おっちゃんは決心していたのだ。おっちゃんはカックンにつきあいながらも大人として道を示すことを選択していた。


 家出には終わりがある。やがて家にもどるのだ。

 嘘をつくことは,しんどいことだった。それ以上に,嘘をついたことをかくしているのは,胸のつかえることだった。


p.134 「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭


家族や周囲も当然,大騒ぎ。警察にも疑いをもたれるが,事件の調査打ち切りとなる。

 日がたつにつれて,カックンは,ほんとうのことをだれにもうちあけなくてよかったと思うようになった。それは,たしかに胸につかえるものだった。しかし,じぶんの中で小さなガラス玉になっていくように思えた。だれも知らない秘密が,ガラス玉となって胸の奥で光っていた。それを持っているのは,カックン一人であって,ほかのだれも持っていないものだった。いやなことがあったり,元気がなくなったりすると,カックンはそのガラス玉をのぞいた。


p.136 「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭


 ビジネス上の取引や公的な事業の考え方から,情報公開は大事だ。だが,それと同時に秘密をもつことの自由,そして,秘密を奥底にしまう気持ちの尊重も大事だということが,大人の社会に言われているのだ。だれもが,私的な生活において全てを明らかにして生きているわけではないのだから,透明にすることで潰してしまうこと,説明のつくことでの納得がその個人をないがしろにしてしまう。ワカラン,納得がイカン!そう,その人がそのとき言ったことがその人の全てではないのだから,だったら,こちら側の勝手な満足のために全てを吐かせてしまって,その人を丸ごと否定してしまってはいけない。いいじゃない,「そのときはワカランことを言われた」で。
 著者による「あとがき」に,こうある。

 ところで,今度もまた,「ほんとうに,そんなことがあるのだろうかな」という物語を書いてしまいました。(略)わたしは,たぶん,だれも書かないような「誘拐事件」を書いてみたかったのですから。


p.140〜141 「もしもし,こちらオオカミ」上野瞭


ええ,そのとおり。だれも書いてませんね,たぶん。私は,いまの'00年代において映画化がふさわしい物語だと思う。今の息苦しさ,生きにくさ,閉塞感の答えがあるよ。秘密,成長,家族。そして,オオカミを野良犬に変えたカックンを僕らは学んだ方がイイ。


もしもし、こちらオオカミ (てんとう虫ブックス)

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