女性が黙りこむとき,または,うんざりさせ,退屈させることの回避について


 手持ちの365日歳時記には,毎日のその日にちごとに今日のちょっといい話し,ためになる話しが書いてある。その今日の日付のページが以下のとおり。

 女性の魂はわれわれよりも高潔であるというわけではないが,慎み深いので,われわれとおなじように率直に自分の意見を述べることができないけれども,繊細なおしゃべりを身につけてきた。その繊細なおしゃべりのおかげで,鳥籠のなかでさえずり方を仕込まれていさえすれば,思うことを何でも礼儀正しく言うようになるのだ。さもなければ,女性は黙りこんでしまうか,自分が実際に言っていることまでもおいそれと口にできないようなふりをすることが多い。
 女性のおかげで,われわれは,無味乾燥で,難しい問題にも,魅力と明晰さとを与える習慣が付いたのである。人はたえず女性に言葉をかけ,女性に話を聞いてもらいたいのである。それで女性をうんざりさせたり,退屈させたりしないように心がける。そしてやすやすと自分の考えを述べる特別な能力が身につき,その能力が会話から文章へと及んでゆくのである。
 女性が天才をもつとき,その天才は我々よりもっと独創的な刻印をおびるであろうと,私は信じている。


「女性について」より 哲学者・ D. ディドロ
p.814 「現代生活早わかり事典 −すぐに役立つ−365日の生活歳時記 四季の知識編」編集:国情ライフ・インテリジェンス・センター


ここで言う「われわれ」「人」に女性が入っていない文章になっているわけだけど,原文はどうなのだろう。と,心配する。相手は18世紀生まれで,という理屈にもならない言い訳かしら。そこを,「われわれ男性」,「男性」だとして,これを読む時,私が住まない迷いの森のあの「女」ワールド,もしくは「女子」の世界の入口に立てるかもしれないと思う。それとてがんじがらめの古臭いステレオタイプな話しになるわけだが,ずいぶんと開明的になっていると信じたい今の世の中において,旧態依然としている様子を他人の中に見いだすのはたやすいし,自分の中の化石のような封建さや価値観に驚かされることだってしょっちゅうだ。だとするならぱ,「らしさ」にとらわれないこと,「らしさ」の強要からの脱却は重要だけれども,まずは共有され,あるものとされる「らしさ」について,無視や無関心でいることなく,知っておいて損は無いだろうと思うのだ。
 以下,ディドロについて参考まで。


ドゥニ・ディドロ - Wikipedia

ディドロの生涯と思想