「赤めだか」を読んだよ。


 立川談春の「赤めだか」を読んだ。談春少年の入門から真打ちまでの話しをまとめた話しなのだが,落語そのものへの興味をかき立てるだけでなく,師匠と弟子の「師承」というものについて考えさせられる。とくに,立川一門とりわけ,家元制のもと,「師承」や二つ目,真打ちの地位について,ことのほかモダンに,説明がつく合理性を導入しようとした立川談志そのものが,よく伝わっている。
 そして,夢を見て目標を打ち立てながらも,道半ばで断念する人の存在がしみる。それは「赤めだか」というタイトルにもなったエピソードに顕著に表れている。
 ぜひ,多くの方に,手にしてもらいたいわけだが,私は次の挿話が印象に残っている。投資の世界で有名な藤原氏の言葉だそうだが,

 相場の神様ってやっぱりいるんです。(略)相場の神様は,人を出し抜く,ずるさを主とした才能は許さないんですよ。たとえば予測不可能なアクシデントが起きて,世界的な株安になったとします。それを本当に神がかり的な才覚で売り抜いて最小限のダメージで済ます,あるいは逆にプラスに転じたとしますね。そんな人間は後にとんでもない目に遭います。


p.243 「誰も知らない小さんと談志」 赤めだか


落語の主人公たちと比べるわけだが,必ずしも,彼らは神様に見入られているわけではない。果たして,そうなのか。そして,神は帳尻を合わせようとする。

 世界的に大富豪と呼ばれるようになった人たちは必ず一度失敗しているんです。それも大失敗です。当時の彼らにとっては,それこそ生きるか死ぬかという瀬戸際まで追い込まれています。神様はとんでもない数の人間の中から,本当にごく少数の人間を選びます。そんな人間たちに最初に与えるのは試練なんですね。株に対する才能も情熱も認めてやろう,株の世界で生きてゆくというお前の覚悟もわかってやろう。だが,お前の覚悟以上の試練に直面した時にお前はどうするってね


p.243 「誰も知らない小さんと談志」 赤めだか


試練の大きさは,必ずしも成功を保証するものではないだろう。しかし,その試練は,帳尻を合わせようと神が与えているのだ,と思うだけでずいふんと違っては来る,ということだろう。



赤めだか

赤めだか