今日,空気を買った。


 今朝,空気を買った。空気といっても,登山者や,ランナーが走り終えた後に吸う酸素缶のことではない。まして,雰囲気やムードの「空気」でもない。もっとも,「空気」を買うとなると,そうとうの金と時間を必要されるのだろうが。
 私が買った空気とは,自転車のタイヤの空気。そう,タイヤの空気が減って乗り心地が悪くなっていたのだ。段差のショックを拾いやすくなって,それゆえ,パンクのリスクも増える。それに,タイヤの抵抗が増えてしまって,動力が伝わりにくい。運転が疲れるのだ。
 空気くらい,さっさと自分で空気入れでシュポシュポといれてしまえばよいのだが,いかんせん,いまの私には,空気入れの持ち合わせがない。空気入れくらい,これからのサイクリングライフを考えると,ホームセンターに行って買ってきてしまえばヨイのだが,持ち物を増やすのが果たして良い事なのか,とも思う。さらに,最近の自転車屋は,無料の空気入れを軒先においてあることが少ない。コンプレッサーにつながった自動空気販売機が,ATMの入金口のように待ち構えている。
 どうしたものか,と思う。いちいち空気ごときに金を出すのか,俺?との思いも湧いてくる。プチブルかよ,と。空気入れ労働を厭うなんて,大層な身分だなー?エー,おい,と言われている気分がするのだ。しかし,1年に2度か,3度あるかないかの空気入れだ。そのために,空気入れを置く場所を確保し,モノを増やす側に与するのか,そんなモノがあふれる生活に溺れるのかと問われれば,ノンと言いたい自分がいる(実際は,モノが溢れているだけになおさらだ)。
 で,50円。50円を自動空気販売機に投入する。要領がわからないでいると,店のおくから,おばあさん,登場。親切に空気のは入口のゴムキャップを外してくれて,後輪→前輪と作業をしてくれた。合間に,今日は寒いねー,もう,10月だもんねー,との会話を入れながら。
 私が買ったのは,何なのだろう。私の体重と車重を支える空気圧分の空気は確かに得た。その空気を送りだすための電気を消費した。実際,半自動の機械は,おばあさんを労働とそれに伴って彼女の手を汚し,彼女は私への気遣いも見せた。
 自家用車を手放して,あと3カ月で2年になる。ガソリンスタンドでは,空気入れは,フリーのサービスだった。こんなことを思いだす。私が貨幣価値を交換した対称とは,果たして,何だったのだろう。
 自転車に空気をお金を支払っていれた。このことで,少し,思った。