読書感想文「みんな、忙しすぎませんかね?~しんどい時は仏教で考える。」釈 徹宗 (著), 笑い飯 哲夫 (著)

 仏教である。仏教の教えとともに暮らしてきた二人が対談と往復書簡形式で,いくつもテーマで己の知識と想いをぶつけ合う。学者でもあり僧侶でもある釈が真正面から答えれば,幼い頃からお仏壇と大家族の中から自分の視点を築いてきた哲夫がモノゴトを押したり引いたりしながら,独自の視点を見せつける。
 怒る,煩悩,地獄,運,努力は報われるか,バチが当たるなどなど,仏門の前を通り過ぎるだけじゃなく,ちょっとは覗いてみたいな,と思う方にはオススメだろう。日本人にとって,無意識のうちにインストールされてしまっている仏教とは,そもそもどういった考え方をとるのか,どんな由来やいわれがあって,今のスタンスを得るようになったのかが,ゆらりと理解できることだろう。
 それはそうと,この二人でミャンマーに行ってロヒンギャ族を実情を見てきてくれよ,暴行や虐待をする側の仏教徒たちを何とかしてやってくれよ,何とか言ってくれよ,と思うね。頼むよ,日本仏教。


みんな、忙しすぎませんかね??しんどい時は仏教で考える。

みんな、忙しすぎませんかね??しんどい時は仏教で考える。

読書感想文「ゴミ清掃員の日常」滝沢 秀一 (著), 滝沢 友紀 (著)

 「ゴミは人々の生活の縮図」。普段,考えを巡らすことの外に置いておきながらも,日常生活上,切り離せないゴミ。哲学者だろうが,大企業経営者だろうか,デイトレーダーだろうが,アイドルだろうが,ゴミを出さないことには生活が成り立たない。そんな当たり前なことを,漫画を通じて我々に知らせてくれる一冊だ。
 現代のテクノロジーで文明生活・消費生活を送る限り,僕らはゴミを出さずには生活できない。逆を言えば,(結果として)ゴミを生産するために生きている。そうしたゴミの最前線にいるゴミ清掃員の目線から生き方,コミュニティ,家族が,見えてくるのは何故か。目の前のモノをゴミと価値判断したということが,そのモノを通じて可視化されて,直接,伝わるからではないか。ゴミは初めからゴミではない。それをゴミであると出す側と受け手が共通認識されることでゴミとなる。
 人間だけがつくるゴミ。読後,ゴミへの眼差しが変わるかもしれない。


ゴミ清掃員の日常

ゴミ清掃員の日常

読書感想文「教養として学んでおきたい落語」堀井憲一郎 (著)

 今の落語シーンを語る双璧といえば,堀井憲一郎と広瀬和生で決まりだろう。その我らがホリケンこと,堀井憲一郎がずんずん書いた一冊。そのホリケンが戸惑っている。「落語に行くなら,どういう準備をすればいいでしょうか」と学生に何度も聞かれたからだ。今時のまじめな学生たちだ。ホリケンは語る「たぶん,『伝統的な日本のもの』だとおもっているのだ。そして『勉強していかなきゃ恥を掻きそうだ』と勘違いしているのである」と。
 徒手空拳で落語に向き合えというホリケンの主張とこの本のタイトル「教養として学んでおきたい」とは矛盾する。そうではあるものの落語の今と正対するためには,予備知識があれば,少しは落ち着いて席につき「ニワカ」であっても正しい振る舞いができるというものだ。
 第3次落語ブームと言われて久しい。だが,いつまでも今のトップランナーが君臨するわけではない。次の落語シーンの担い手をこの本を手掛かりに僕ら自身の手で探す旅に出かけよう。


読書感想文「人は誰もがリーダーである」平尾 誠二 (著)

 今年2019年は,ラグビーワールドカップ日本大会の年である。共著もある京都大・山中伸弥教授が,平尾誠二とこの大会を見たかったと嘆いていたのが印象的だった。その平尾誠二の本。現在,氏の著書それぞれが入手困難となっているのだが,今回,初めて著書を読んで驚いた。ただのイケメン・ラガーマンじゃなかったんだ!小学生の頃からキャプテンやリーダーを担い,そのことに苦しみながらも,所属チームを栄光に導いてきた成果!出木杉くん,かよ。
 では,平尾誠二の何がすごいか。彼がリーダーとして果たしてきた役割とそのことを通じて得た経験,そして次世代に伝えたい教訓を,誰もがわかりやすい言葉にできることだ。これには心底,驚いた。巷に溢れるリーダー論,マネジメント本からは伝わらない肉声とリアリティがある。学者の書いた本とは説得力が違う。リーダーについて語られるキーワードが次々と「〜〜とは,〇〇ということだ」と本人の言葉で定義づけられる。なかなか出来ないし,割と曖昧にされがちなキーワードが明確化されるのは気持ちがいい。
 もう平尾誠二のプレー姿を見たことがあるのは40代以降か。ならば,平尾を知っている者こそ,平尾の著書を読み,よきリーダーを目指そう。


人は誰もがリーダーである (PHP新書)

人は誰もがリーダーである (PHP新書)

読書感想文「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」大島 真寿美 (著)

 「傑作を通じて,才能を世に知らしめる」ことを待ってもらうことが許された男・近松半二その人の物語である。中年になっても阿呆ぽんと呼ばれつつ,そうして待ったもらえた時間の末に,因果の渦の底に身を置き,立体的な関わりが筆を走らせた。
 治蔵や正三が虚無に襲われながらも,半二は酒や仕事に溺れない。芝居という虚の世界にズブズブと自分を沈め,「毒をもって毒を制す」ことで真っ黒な深淵を覗き込むのを防いだ。虚無は,たとえ,仕事や生活が好調な時であっても,いや,好調だからこそ,自分自身の消耗に気づかず,パックリと口を開ける。
 道頓堀の中で,ポッとそこだけ空気の違う場所である法善寺の門で,自身の分身・高砂屋平左衛門を見てしまった正三。半二が次々と失った周りの人たちについて丁寧に描写される。肉親,恩人,幼馴染らを失う様が語られる一方で,残したものは何か。紙上にまで出て,勝手に語り出すようにさえなったお三輪だろう。半二が死に際まで語りかけたお三輪は300年後の今も生き続けている。


読書感想文「チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学」小川 さやか (著)

 2019年,最もホットな一冊だ。抜群に面白い本なのだが,何が面白いのか。愛すべきキャラクターの主人公・カラマが面白いのか。カラマ大好きの著者である突撃姉さん・小川さやかが面白いのか,シェアリング経済と人が次々と入れ替わりながらも維持される香港のタンザニア・コミニュティとICTテクノロジーの関わりが面白いのか,いや,どれも面白いのだが,本当に面白いのは,こうした香港のウラ社会・ダークサイドを研究する文化人類学が面白いのだ。人類学の最大の特徴は,フィールドワークとりわけ参与観察である。他の学問でも,現地調査や巡検があるだろうと言われるだろうが,あくまで,研究者・学者が他者目線で客観的に調べるのが,他の学問でのやり方だ。文化人類学は,どっぷり首まで浸かってみる。そうして内側から研究対象の肉声を研究材料に上げてゆく。そこから生まれる面白さなのだ。
 チョンキンマンションに出入りする人間のダメさ加減,どうしようも無さは厳然と存在する。だが,それが人間の本質であり,「彼らの仕組みは,洗練されておらず,適当でいい加減だからこそ,格好いい」という著者の言葉を確認するために,この本を手に取ってもらいたい。


チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

読書感想文「戦国の教科書」天野 純希 (著), 今村 翔吾 (著), 木下 昌輝 (著), 澤田 瞳子 (著), その他

 最新の歴史学の研究成果を踏まえ,歴史小説をアップデートさせようとする意欲的な試みである。6人の今,注目されるべき小説家が,下克上・軍師,合戦の作法,海賊,戦国大名と家臣,宗教・文化,武将の死に様のテーマに挑み,小説の面白さが解説・ブックガイドに直結する楽しみを与えてくれる良本だ。
 時代小説は,これまで江戸時代の軍記物や講談,浪曲などの影響が強く,歴史学上の新発見や新たな定説は置き去りにされることが多かったが,これからは,流れが変わるのではと思わせる。実はそんなにセンセーショナルでも,エモーショナルでもなく,今日の次は明日というように,そんなにガラッと世の中が変わったのではなく,地続きのように世の中が推移したことを表す資料が出てきているし,そうした地味な「史実」でも書ける小説家たちの登場は,とても期待できる。
 研究とエンタメの良き相互作用を生み出されるキッカケを感じている。


戦国の教科書

戦国の教科書