読書感想文「絵ことば又兵衛」谷津矢車 (著)

 吃る絵師の一代記である。
 又兵衛は常に忸怩たる思いの中にいる。絵は絵では通用しないのだ。売り言葉に買い言葉である。絵の解釈,由緒,謂れのセールストークで,絵の価値を伝え,納得させることが必要である。そのことで絵を商品として流通させる。扇や衣服,乗り物などの道具性のある商品はその機能とともに美術的価値をして,価格となる。純粋な美術品は違う。その美術品として意味や文脈を目利き,いやキュレーターこと道化師が必要とされる。そして,アーティスト自らも山師よろしく価値づける。
 又兵衛は絵師の才を見出されたものの,言葉が滑らかに出せない。筆は動かせても,その絵の魅力を伝えられない。天運が又兵衛を見出したようでいて,一族の謎解きのような人生が種明かしされる。
 言葉にならないことの辛さ。そもそも,認められたのは実力なのか。言葉は便利であるが,言葉が全てでは無い。気持ちはそこにあり,そのグズグズささえも掬い取るように思いを馳せてあげることが大事では無いか。
 言葉の世界は豊穣である。だが,もどかしいアナザーサイドの存在を教えてくれるような一冊である。


絵ことば又兵衛

絵ことば又兵衛

読書感想文「商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎」永井 紗耶子 (著)

 すっかり古びてがんじがらめとなった旧癖をあらためる「風雲児」でよいのか。
 茂十郎は理である。理屈である合理である。制度,仕組みを根元から,目的から捉え直す。そして,合目的に整えて見せる。鮮やかである。ゆえに痛快である。才気走る者とは,こうした存在であり,一時代を築く寵児そのものかもしれない。
 だが,茂十郎は次々とメンツを踏みつけ,悪様に扱う必要があっただろうか。三橋会所を立ち上げるまでの殊勝な態度を続けりゃ良かったじゃ無いか。自分の大きさに対して何も潰して回らなゃならない相手ばかりだったろうか。弥三郎だけ立ててりゃいいってもんじゃないだろう。
 整えてみせた江戸の物流と金融を腐らせたのは,葵の御紋のトップ人事の甘さだ。そして,そこでの忖度や欺瞞の数々が薩摩の台頭を許し,幕政は終わりを迎えることとなった。
 放っておくと,金で,いや,金の回り方で人は死ぬ。まさに,今がそうだ。だからこそ,エンジニアリングとして,金を回す存在が必要だ。風雲児でもなく寵児でもなく狼のような存在の。
 金融・経済の専門家に茂十郎の評を聞いて回りたい。


商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎

商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎

  • 作者:紗耶子, 永井
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

読書感想文「ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年11月号」ナショナル ジオグラフィック (編集)

 「まるごと一冊 新型コロナウイルス特別号」だ。
 とりわけ,ジャーナリストのフィリップ・モリスが寄せている原稿が興味深い。「2020年という年は,私たちの生き方と死に方に,想像を絶する変化をもたらした。旅立つ者は独りで逝き,残された者は,独りで悲しむ。葬儀の在り方は見る影もないほど変わった。…新型コロナウイルスにより,死は人類が経験した中で最も孤独な旅となった」。そうなのだ,新聞の死亡告知欄はすっかり,変わった。高齢社会において,当分,安定業種だと思っていた葬儀業界について想う。
 「新型コロナウイルスは,抜目のないウイルスだ。階級やカースト,人種や貧富の差などの社会的格差に長年苦しんできた人々が,特に感染しやすい。また,このウイルスは基礎疾患のある人を狙う」。だからこそ,「人類がこのウイルスや,今後発生するウイルスに勝つためには,世界が今よりも公平で公正な社会の集まりにならなければならないとということだ。ウイルスとの闘いにおいて,人類全体の強さは,私たちの最も弱い部分をどれだけ強くできるかで変わってくるという,明白な真理が改めてはっきりした。人類が全体として生き残れるかどうかは,万人の健康と社会正義の間に直接的な関係があるということを,今以上に深く認識できるかにかかっている。そして社会に根深くはびこる極度の貧困をなくすため,断固とした措置をとる必要がある」。
 私たちの隣人や毎日接する人たちには,低所得だったり,基礎疾患を有する人たちだったり,高齢だったり,エッセンシャル・ワークに従事する人たちだったりと感染し重症化・死亡するリスクの高くなる存在がいる。そうしたさまざまな困難と直面している人たちととともに生きている,この社会なのだ。
 「数」だけが伝わる日々において,感染症という見えなさは,決して,伝わらなさではない。しっかりと社会を見るために,「数」ではない現実をしっかり見ることを今号のナショナルジオグラフィックは教えてくれている。新聞では無く月刊誌だからこそできる仕事をした,と称えたい。


読書感想文「小さくても勝てる - 「砂丘の国」のポジティブ戦略」平井 伸治 (著)

 ダジャレとは,何か。
 オッさんが垂れるダジャレとは,ただただ,前頭葉の制御が困難になり,ポロポロと思いついたものをこぼすものか。違う。場の空気を読み,間隙を縫って,ここぞの場面をキメに行く,そんなダジャレもある。
 コロナ禍でさらに名を売った知事の一人である鳥取県・平井知事の著作である。平井知事のダジャレとは,爪痕を残すための道具である。圧倒的にマイナーな立場であるものの,世間に「鳥取あり」と示さなくはならない立場である。なのでPRには腐心している。マイナーな県の知名度を上げるために摩滅するほどの努力をしている。ダジャレもその一つだ。
 マスコミからコメントを求められる。気の利いた短いフレーズを炎上を恐れることなく放つ。少しでも印象に残るよう,決して聞き流されてしまわぬようPRする。
 「丁寧な説明」が求められる時代である。だが,長々と話した結果,ストンと落ちたか?結果を出すことにこだわる知事は,カネが無いなら,知恵を絞れ,頭を使えといい,今日もダジャレを駆使している。


読書感想文「パンデミックの文明論」ヤマザキ マリ (著), 中野 信子 (著)

 コロナ禍の混沌の中で,何がどう語られたかの記録の一つになるであろう対談。
 この文明社会のもとでは,パンデミックとはあくまでイメージトレーニング,想定論として万が一,起きたらどうなるかをシミュレーションしてみるのであって,世間一般には実際には起こらない対象ではなかったか。コロナによる日本社会のピント外れ感とは,ヤマザキマリ中野信子が,古代ローマ脳科学から照射する日本文明の所在なさげ感である。
 日本社会の中で居辛さを感じている異邦人な彼女たちにとっては,自由主義・民主制の国家の一員であるはずのニッポンがコロナ禍で世界から奇異に映っていることを心配している。議事録もデータも明らかにされず,指導者のメッセージも届かない,と。
 実力のある者が登用されずにいる社会を憂い,男女差別も重く,世間の空気を読まねばならず,個性は当然,殺さねばならない。これだけ炙り出された問題に,彼女らがルネサンスを夢みるのも無理もない。
 やがて,振り返りの対談があることを期待しておこう。


読書感想文「たちどまって考える」 ヤマザキマリ (著)

 人類まるごと,つんのめってコケている。コロナ禍で,コケて怪我をした程度も違えば,発した奇声も違う中,つまずきの原因となったウィルスを目にしつつ「たちどまって考える」ことを勧めている。
 あえて言おう,司馬遼太郎の名コラム「この国のかたち」,そして司馬遼にしては珍しい時事問題を扱った事事評論「風塵抄」,こられに匹敵するコラムの登場だ。とりわけ,弁証法について,司馬の言葉を思い出さずにはいられない。夏目漱石好き,福沢諭吉贔屓として,日本語を,演説をつくってきたことに引き,「言葉を大事にしない国は滅ぶ」と繰り返し述べたのが司馬だった。
 お勉強をしてしまい現代ニッポンに異邦人感を持つ意識高い系の疎外感のわけを,言葉にしてくれている。いつの頃からか,学校の体育の時間でダンスが単元となり,さらに非言語が授業となった。画面の中の文字は短く,絵文字や写真,動画の共有に忙しく,言葉を豊かにできずいる社会。しかし,それは,俳句や詩歌,茶道など,ハイコンテクスト社会であるからこそ,省略し,それを味わうものに自ずと解釈がわかるよね?という日本社会でもある。
 感情の高ぶりを排し,抑制の効いた文章を連ね始まる,この一冊。ヤマザキマリが後に思想する人としての道を歩んだ,きっかけ本と呼ばれることになるのかもしれない。


読書感想文「流人道中記 (上)(下)」浅田次郎 (著)

 世の中には,理不尽が溢れている。それ故,憤懣やる方なさが時にはみ出し,事件となる。
 そんな理不尽,出鱈目,いんちき,ぺてんが通るものか,いや,通っちゃってるんだから,この世なのだ。なので,それを記して,悲劇と呼び,皮肉を言う。
 流人と押送人。始めから終いまで,主人公とその相手は,ずっと変わらない。だが,それは,目的地に着いたときの視点から見た,この二人の立場と関係であり,理不尽な仕打ちにあったことを読者に嫌になる程,押し付ける。
 これだけ魅力的で愛すべき人が,こんなに理不尽な目にあっていいのか。理不尽のまま,なのかもしれない。もっと絶望的な先が待ち構えているのかもしれない。
 だが,読者はそう思わないだろう。この先が描かれていないからこそ,世の人たちの声が流人であることを許さないだろう,流罪が解かれるだろう,こんなはずじゃないぞ,きっときっと,と。小説の世界だ,そんな道理のない世界であってたまるか。江戸に戻り,復活する痛快劇を,読者は勝手に別な視点から,つい想像しちゃうのだ。



流人道中記 (上)(下)巻セット

流人道中記 (上)(下)巻セット

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