感情を動かすもの 旧・Column Kazuhiro 2000

 「イライラしている自分に気付くことがある」という状態は,ままあることではないだろうか。そんな状態の自分を客観視してしまうことに,さらにイライラしてしまったりするのだ。思い当たる出来事が特定できるわけでもない。先ほどまでそういう自分だった。
 「だった」と過去形でいうのは,それが解決したからだ。何らかのメンタルトレーニングを実行したわけではないし,精神修養のたまものでもない。ほっくりとヒョンなことからだった。ヒマそうにしていたこどもに「ネットサーフィン」を教えた。大したことではなく,URLの入力とブックマークを教えたに過ぎない。ページを受信し,描画が終わると「おぉっ」と声をあげていた。嬉しかったのだ。何かができ,新しいものを見たことに。「新しいメディアを実感した」などということには程遠いだろう。せいぜい,「面白いことができるかもしれない」と思ったくらいだろう。ただ,教えた自分も嬉しくなっていた。
 喜びの共有—これが足りないとイライラするのかもしれない。
EXTENDED BODY: