卒業 旧・Column Kazuhiro 2000

 日本全国的に終業式も終わり,18歳以下は春休みを迎えている頃だ。当然のことながら,卒業式もすでに終わった。今年も各地で,国旗/国歌を巡るいざこざが続いた。ステレオタイプに「中央からの顔の見えない押しつけとそれに振り回れる現場レベルの混乱」と相変わらず報道もされていた。本来,議論されるべき「市民」の間においてではなく,こども達の空間においてのみ,かわされているというバカさ加減が続いている。冠婚葬祭以外の儀式で,市民に共有されるものがない故に,もっとも象徴的に浮かび上がっているだけなのだ。
 だが,考えてみて欲しい。何のために卒業式をやるのだ?もしくは,なぜ,あの形態で卒業式を行わねばならないのか。入学式も一緒だけど。何にとらわれているだろう。校長は,教職員組合は。子供達に卒業式をクリエイトさせたっていいだろう,卒業式を自分たちで企画・運営できるようになったという子供の成長は何にもまして感涙ものだろう。唄や旗がなくたっていいし,いっそ外国のように卒業式すらなくしたっていい。
 尾崎豊は言ったじゃないか。「一体何から卒業するのだ」と。